「=」を「は(wa)」と読ませるのは差別の原因の一つかもしれない

 先月私は「Qさん」という架空の社会的弱者がインターネットを利用している場面を描くため(参照→http://d.hatena.ne.jp/gureneko/20110720/1311112479)、現実のネット上の様々なブログを読んだ。
 その中には「ネット上の狂信的エスノセントリスト≒底辺層」という意味の公式を証明しようとしているブログが幾つかあった。これらは既にQさんの物語の中で悪役として使わせてもらったが、本日改めてその問題点を検証したい。
 当初、私は一定の期待感を持ってそうしたブログを閲覧し始めた。「底辺層にはインターネットを金銭や技能上の問題から使いこなせない人々が大量にいそうだという私の見解は、誤った偏見だったのだろうか?」だの「三年前の蟹工船ブーム(参照→http://d.hatena.ne.jp/gureneko/20080503/1209764576)をこのブログの書き手はどう上手に説明してくれるのだろうか?」だのという思いが、私の頭の中で躍っていた。
 ところがほとんどの記事は、書き手が見つけてきたネット上のエスノセントリストが貧しそうだという例を紹介したものばかりだったのである。「A公園に潜入したら、青テントの中から差別記事が次々と送信されていた!」といった記事は見かけなかった。
 そして私は気付いた。書き手の多くが元々証明したかった公式は、正確には「ネット上の狂信的エスノセントリストの大半⊂底辺層」と表記すべきものだったのだ、と。
 勿論この公式とて、果たして恣意的に見つけてきた例を積み上げる事で「証明」出来るかという統計学上の問題が残るが、それでも「≒」と書く場合に見られた最低限の集合論上の問題はクリアされている。
 彼等の批判対象である狂信的エスノセントリストの中にも、彼等と似た様な錯誤の過程を経て自己の思想を創り上げた者が多いのではなかろうか?その場合、第一段階は、個々の外国人犯罪の報道を見聞している内に統計学的手法を用いずに「外国人の多く⊂犯罪者」という公式の捏造をする事である。第二段階は、集合論の知識の無さから、その公式を「外国人≒犯罪者」と表現してしまう事である。そして最終段階は、自分で書き間違えたその公式の内容の機械的解釈を、今度は自分自身が信じ込んでしまう事である。
 この種の錯誤に陥っている差別者を、幸運にも錯誤に陥らなかった人が「この差別者め!」と糾弾しても、問題は余り解決しない。客観的には如何に差別的な言辞であろうとも、本人の主観においてはそれはデータに裏打ちされた「区別」なのだから。
 昨日この問題を根源的に考えたところ、「そもそも小学一年生から「=」を「は(wa)」と読ませ続ける事に問題があるのではなかろうか?」という発想がふと思い浮かんだ。
 現代日本語の助詞の「は(wa)」は、集合関係を叙述する際には、一般に「⊆」の意味で使われる。「⊆」は「=」の場合を含むから「=」を「は(wa)」と読ませる事は間違いではない(嗚呼、ややこしい!)。しかし記号「⊆」を知らない頃から延々と「=」を「は(wa)」と読ませる事で、「「=」=「は(wa)」」等の勘違いをする人間を数多く育成してしまっているのではあるまいか?
 とはいえ、「では小学生に「=」をどう読ませるべきか?」と問われると、返事に窮してしまう。残念ながら現時点までの私は、魅力的な代替案を思いつけなかった。
“All that glisters is not gold.”(シェイクスピア著『ヴェニスの商人』第二幕第七場より)