岸田秀著『嘘だらけのヨーロッパ製世界史』(新書館・2007)

嘘だらけのヨーロッパ製世界史

嘘だらけのヨーロッパ製世界史

評価 知識1 論理1 品性1 文章力2 独創性1 個人的共感1
 『黒いアテナ』という書籍とそれをめぐる論争の紹介を中心にして、そこに著者の奇妙な妄想を付け加えていくという書籍である。
 妄想の一例を挙げる。93ページには「そもそもアメリカがイラク戦争を始めたのは、支那事変の日本をコピーしようとしたからではないかと、わたしは思っている。すなわち、日米戦争に関して日本に劣等感をもつアメリカは、日本が失敗した支那事変と同じようなことを実行して成功しようとしたのではないか。」とある。何とも壮大な妄想だが、これに類似する話が延々と続くのである。
 著者は白人が嫌いらしく、初めから終わりまで白人への誹謗を綴っているのだが、同じ話の使いまわしも多いので、整理してみると中傷内容の数は意外にも少ない。語彙は少ないが根性だけはある小学生が逆恨みの相手を付けまわしながら延々と悪口を言っている状態に近いかもしれない。
 著者は今でもヨーロッパでヨーロッパ中心主義史学が大手を振るっているという確固たる信念に基づき、それへの反駁を試みている様なのだが、著者の展開する論法は既に一昔前に廃れたものが多い。二昔前の通説が今も通説だと信じている著者ならではの失敗である。
 例えば50ページでは、アフリカが暗黒大陸ではなかった事の証明に、組織的社会としてアフリカの王国を紹介している。しかしこうした進歩史観じみたやり口は、独立間もないアフリカ諸国の国史運動の際に既に出尽くしており、現在ではその際に無視されていた非中央集権的社会や無頭制社会をも再評価する形でのアフリカ史研究が進んでいる。これは宮本正興松田素二編『新書アフリカ史』(講談社・1997年)に詳しい。
 なお著者が何かを語れる程に世界史に詳しいかどうかは、142ページを見ればすぐに判明する。
 まず5行目ではカルタゴを滅ぼしたのがローマ帝国になっているが、当時のローマは共和制である。
 7行目、ウマイヤ朝を「サラセン帝国」呼ばわりしている。随分なヨーロッパ中心主義史学である。
 9行目、「またもやモンゴル軍にフン族と同じくらい深く中欧に侵入され、」とある。オルレアンまで攻め込んだアッティラと比べれば、バトゥの侵入はかなり浅い。
 また11行目の記述を見るに、17世紀末のウィーン包囲が第二次のものである事を知らないようである。
 ヨーロッパ製世界史とやらに嘘がどれだけあるかは知らないが、岸田秀製世界史が嘘だらけなのは間違いない。
 個々の問題点も列挙したい。
 9ページ、「アメリカ人は、黒人に差別された白人のなかでさらに奴隷にされて差別されたユダヤ人に差別されたキリスト教徒に差別されたピューリタンに端を発するわけで、つまり、四重の被差別のどんづまりの民族なのである。」とある。ピューリタンアメリカ人による差別もあるので、ここで「どんづまり」にはならないと私は思う。
 ここで著者が「黒人に差別された白人」という表現を使っている件については、補足説明が必要かもしれない。著者は、突然変異で発生した白人が黒人に差別されてアフリカから追い出された、と思い込んでいるらしいのである。念のため書いておくが、アフリカ全土に黒人が広がったのは高々この一万年以内の歴史の中での出来事である一方、アラビア半島には十万年以上前のホモ・サピエンスによる遺跡も複数確認されている。
 149ページ、日本社会党の行為とされたものの中に、社会民主党時代になってからのものが含まれている。
 176ページではルネサンスを評して、「近代ヨーロッパ人は、古代日本人が中国文化を、近代日本人が欧米文化を輸入したように、他民族、他国の文化を輸入したに過ぎない。しかもアラブ人を介して輸入したのであった(日本人も中国文化を主として朝鮮人を介して輸入したが)。」とある。復興された古代文化の内、ギリシア文化に関しては、ビザンツ帝国から学んだ文化もあるだろうし、イスラム世界では既にトルコ人等も主役になっていたが、大筋としては首肯出来る見解と言えなくもない。しかしながらローマ文化に関しては、ローマ帝国の領域や多民族性から言って、一概に「他民族、他国」と言って良いものか疑問である。特にここでは古代日本人が隋・唐という北朝系の王朝から学んだ文化まで「中国文化」扱いしているのだから、著しく不公平である。中原に流入して西晋を半壊させて「東晋」へと貶めた五胡の勢力を継承した王朝なら、中華文明を取り入れたり士大夫から正統な皇帝として承認されたりすれば「中国」に成れて、ヨーロッパに流入して西ローマ帝国を滅ぼしたゲルマン人の王朝なら、カロリングルネサンス等を興したり教皇から西ローマ帝国の帝位を承認されたりしてもなおローマとは他国扱いというのは、不平等に過ぎるのではあるまいか。
 また古代以前の日本列島における朝鮮半島の文化的影響力はそれなりに強かったが、白村江の戦いを境に交流は激減した。古代においては遣隋使・遣唐使の影響力の方が圧倒的に強いだろう。よって古代日本人が「中国文化を主として朝鮮人を介して輸入」というのはおかしい。ここではインドの宗教文化を中国人・朝鮮人を介して学んだ例の方を挙げていれば、もう少し見栄えの良い文になっていたであろう。
 188ページ、「以前からわたしは、日本の天孫降臨神話は中国および朝鮮との関係を否認して日本は日本として独自に成立したとする一種の誇大妄想であると言っている。」と語っている。創作の理由は白村江で朝鮮半島を失った敗北感・屈辱感とのことである。しかし英雄が空から降りてくるという神話は他の地域にもあるし、『日本書紀』には高天原を追放された素戔嗚尊がまず新羅に降り立ってから出雲に来たという異説が紹介されているので、説得力は相当低い。
 223ページ、「六十数隻の大船団、総員が三万名近く(二万七千八百名)であった鄭和の第一回目の航海が「大航海」と称されておらず、百名足らず(八十八名)の船員しかいなかったコロンブスの第一回目の航海が「大航海」の始まりとされているというコントラストも実に面白い。」とある。著者の若い頃の風潮は知らないが、「鄭和の大航海」という表現は普通に存在するし、その規模の大きさを尊重して「南海遠征」と呼ぶ事すらある。
 またヨーロッパにおける大航海時代については、大概の高校の世界史教科書ではコロンブス以前にバルトロメウ=ディアスが登場する。この程度の事は実際に高校の教科書を読めば判るはずである。254ページでは自分に都合の良い形で高校の教科書が引用されているのだが、この時せめて教科書を通読していれば、少しはまともな本が書けたのではないかと思われる。
 267ページ、「神聖ローマ帝国第三帝国が継承したと称するローマ帝国キリスト教を国教とする以前のローマ帝国であった。」とある。神聖ローマ帝国に関しては確かにそうした面も強かったが、第三帝国ローマ帝国の継承者としての側面を強調したという話はあまり聞かない。国家社会主義ドイツ労働者党の綱領では、ローマ法は悪役であるし、キリスト教は尊重されている。ムッソリーニ古代ローマの復興を強調していたので、おそらくこれと混同したものと思われる。