「「日本国憲法」(占領憲法)と「皇室典範」(占領典範)に関する請願書」への疑問――憲法と典範のどちらがより尊いものなのか?・「大日本帝国憲法などと同列の国家の最高規範」の「など」の具体例は?

 しんぶん赤旗が「大日本帝国憲法復活請願(原文改行)「東京維新の会」が賛成」という題名の記事(http://www.jcp.or.jp/akahata/aik12/2012-10-05/2012100502_02_1.html)を、請願書を資料として付して発表した。これは現在各地で大いに話題になっている。なお請願書は、書き手である國體護持塾のページ(http://kokutaigoji.com/teigen/h240418seiganundo.html)でも読める。
 折角の思いを込めた請願書であるから、私は記事の見出しや請願書の題名だけを見て反射的に賛否の声を発するのではなく、「願意」と「理由」の部分をも真摯な姿勢で読んでみた。
 まず興味を引いたのは、請願者が大日本帝国憲法の復活のみならず明治二十二年制定時の内容の皇室典範の復活をも目指しているという点であった。この件については、巷でほとんど話題になっていないという事も含め、注目に値する。
 そしてだからこそ湧いてきたのが、請願者にとって憲法と典範のどちらがより尊いものなのか、という疑問である。
 願意でも理由でも、憲法の話題が先に出たという点に着目すると、憲法が主で典範が従である様に読める。
 だが理由の「6」では、前項までの憲法の話題に続ける形で「ましてや」と書いてから皇室典範の話を始めている。この「ましてや」に注目すると、憲法にも増して典範が大事である様にも読める。
 しかし更に読み進めて理由の「8」まで行くと、憲法の復原のみを主張した奈義町議会の決議を「先例」と見做している。なお國體護持塾自身が公開している資料(http://kokutaigoji.com/reports/ref/ref_nagicho_ketsugi.html)を読む限り、昭和四十四年の奈義町議会の決議は皇室典範に全く触れていない。ここに着目すると、やはり主眼は憲法の方に向いている気もしてくる。
 もう一つ不思議だったのは、理由の「6」にある「正統なる皇室典範大日本帝国憲法などと同列の国家の最高規範」の「など」とは何か、という事である。
 大日本帝国の体制については、皇室典範大日本帝国憲法とを二元的な最高規範とする「典憲二元体制」であるとする説が有力である。だから私は最初にこの請願書の題名を見た時にはこの説に基いて書かれたものだと予想したのだが、この「など」の部分に至って、請願者が典範と憲法の他にも一以上の数の最高規範が存在していたとする独自説を採用している可能性が高い事に気付いたのである。
 その謎の最高(諸)規範の正体次第で主張の正当性も大いに増減するであろうから、是非明かして貰いたいものである。