ネットが発達した現代だからこそ、「戦わない民主主義」を暫定的に支持している。

 このブログでは「戦う民主主義」について何度も話題にしてきた。しかも正の側面と負の側面の両方を紹介してきた。

 しかし一方で自分自身の態度については語ってこなかった気がする。

 これについては昨日現実に熱く語ったので、その内容をほぼそのままここに書こうと思う。

 自分は、ネットが発達する前はどちらかというと「戦う民主主義」者だった。そして今では、暫定的に「戦わない民主主義」を支持している。

 なぜなら、ネットが発達する前は「表現には表現で立ち向かおう」という標語は絵に描いた餅だったのだ。

 国家権力が「正しい思想・表現・言論」を認定してそれ以外の正しくないものを弾圧する事は、確かに自由を大幅に縮小させる危険なものであるが、かつてはもっと危険な「強者の表現」というものがあったのである。

 だがネットの発達により、「表現には表現で立ち向かおう」が決して絵空事ではなくなってきた。

 そうした現状を見て、「今では戦わない民主主義の方がやや上回る」と考えるようになったのである。

 そういうわけで、私のかつての「戦う民主主義」支持も、今の「戦わない民主主義」支持も、利益を比較衡量した上での暫定的なものである。

 だから社会情勢次第では寝返る。また結論を一時的に共有している相手でも、過度に「戦う民主主義」や「戦う民主主義国」を崇拝したり唾棄したりする者とは、距離を置いているのである。