「鳳梧洞戦闘」・「青山里戦闘」に関して親韓派が何も語らないのは悪手だと思う。

 日韓では歴史や領土をめぐって様々な対立があるが、日本国内では大概は相手を擁護する見解も流通し論争が起き、その事に密かな誇りを持つ者も多数いる。

 そして昨今では、輸出管理をめぐる対立で韓国を支持する意見が他の論争の平均より弱い事を危ぶむ声もある。

 だが私の見る所、本当にワンサイドゲームになっているのは「鳳梧洞戦闘」・「青山里戦闘」をめぐる日韓の通説の違いである。

 これについて親韓派が比較検証をしたり他派に論争をしかけたりした記事を私はネット上で見た事が無い。かなり工夫をして検索をしたのだが、嫌韓かせいぜい中道派の書いた記事ばかり見当たる。

 そして嫌韓派の書いた記事の場合、大概は「だから他の歴史論争でも日本が一方的に正しいのだ」という印象が醸し出されている。

 この件について親韓派が何も語らないのは、少なくとも現在においては悪手であろう。

 以下、三つに場合分けをして考えてみる。

 第一に、韓国側の通説の方が正しいと判断したならば、その根拠を提示して嫌韓派と戦うべきであろう。

 第二に、どちらの通説も間違いで戦闘規模や死者数は両者の主張の中間ぐらいだと判断したならば、その根拠を提示して両国の和解に努めるべきであろう。

 第三に、こればっかりは日本側が正しいと判断したならば、それを正直に表明すべきであろう。そうすればこの問題では状況がこれ以上悪くなる事はもう無いのに対し、「鳳梧洞戦闘論争・青山里戦闘論争では日本側の肩を持ったAさんですら、B事件では韓国の肩を持つ」等の形で、別の論争での力になるだろう。

 第二・第三の場合は話が少々複雑であり、「鳳梧洞戦闘」・「青山里戦闘」という単語の知名度が日本で低かった頃は「韓国(も/が)間違っている」と大声で言うのは親韓派の利益にならなかったかもしれない。

 しかし日本人の有名な俳優も出演した映画『鳳梧洞戦闘』がこの夏に韓国で大ヒットをし、その一件が日本でもニュースになったので、今後はこの二つの単語の検索をする人も増えるであろう。ここまで偉そうな文体を用いてきた私も、そんなミーハーな人間の一人である。

 つまり何であれ何か語りさえすれば、何らかの形で親韓派の利益になるという状況なのである。

 そうであるのにこの問題について何も言わないというのは、完全な悪手であると思うのだ。