週刊ポストと流行語大賞を比較してダブルスタンダードを告発した人には、外山恒一氏の事も思い出して欲しい。

 小学館週刊ポストが「韓国なんて要らない」という特集を組んだ件について、差別的であるとして批判する声が一方にある。

 これに対して、ユーキャンが「保育園落ちた日本死ね」を流行語大賞に選んだことについては、差別的であるという批判が弱かったとして、ダブルスタンダードを告発する声が一方にある。

 私もダブルスタンダードは嫌いであるし、「自己が属する集団への差別は許される」という見解を批判したこともあるので*1、この告発の声には一定の共感を寄せる。

 ただしその共感はあくまで「一定」の範囲までである。なぜならその「日本死ね」に怒った人の多くもまた、外山恒一氏の「こんな国、滅ぼしましょう、原発で」はスルーしていた事をまだ覚えているからだ。

 少なくとも字面だけで比較すれば、外山氏の発言が一番酷い。「韓国なんか要らない」は、主語にとって要らないというだけであり、対象の存亡については対象の自主性に委ねられている。「日本死ね」は、死んでくれればもう満足のようであり、死因は対象自身が選べそうである。そして「滅ぼしましょう、原発で」は、死因が一種類に固定されている。

 この一番酷い発言への批判が一番弱かった件に言及し、その原因を究明してこそ、小学館とユーキャンへのダブルスタンダート関連の言説にもより凄味が出ると思う。

 確かに、有力な一派に対して「何故コレは良くてソレは駄目なんだ?」という声を上げる事は素晴らしい。しかしそこで終わらせずに、「そういえばアレはどうだったかな?」と自問自答し、何が世間の反応の微妙な差異を生み出す変数なのかを考察する事は、もっと素晴らしい事である。