「醍醐景光」の名と敵大名が「朝倉」である件は、実に秀逸。

 アニメ版の『どろろ』第二期については、半年ぐらい前に称える記事を書いたので、そちらを参照されたい。

 本日褒めたいのは、「醍醐景光」の名と、敵大名が「朝倉」である件である。

1.まず、主に発音の話

 『どろろ』が描いた問題は多々あるが、その中の一つが「冷戦」であり、とりわけ「分断国家の民衆の悲劇」であった。

 そういう中で、物語に深く関わる戦いの当事者が「醍醐景光」という発音であることが深い意味を持っていたことに、先ほどようやく気づいた。

 まず「醍醐」と聞けば、多くの日本人は乳製品の「醍醐」や「醍醐天皇」だけでなく、「後醍醐天皇」を想起する。それどころか、後醍醐天皇を真っ先に思い浮かべる者も多かろう。

 もうこの時点で、「南北の対立」は予告されているのだ。

 また「景光」は発音や字形の同一性から、「影」・「光」を想起させる。

 戦国武将としての栄光の背後に、長男の犠牲という影がある。鬼神に生贄を捧げたという悪の背後に、最小の犠牲で立場上やれるだけのことをしたという善がある。これも名前の時点で既に予告されていたのだ。

 景光が単純な正義でも悪でもないことにするには、対立する大名もその同類でなければならない。

 「あさくら」。「あさ」の明るさと、「くら」の暗さとが、同時に感じられるような姓である。

2.次に、史実を参考に名前を考える

 醍醐景光の主君である富樫政親が朝倉氏と敵対していたのは応仁の乱の中盤ぐらいまでであり、やがて朝倉氏は東軍に寝返り、政親の生涯の同盟者となる。

 一方の醍醐景光は、主君の諱である「政」も「親」も拝領せず、朝倉氏の当主が二文字目に使いその有力な部下が一文字目に使うことの多かった「景」の字を、一文字目として後生大事に使っているのである。

 これを史実を参考に考えるならば、「ばんもん」が出来る前は醍醐氏は朝倉氏と富樫氏の両属ぐらいの立場であり、「景光」の「景」はそのころに朝倉孝景から拝領したものである可能性が高い。

 民衆には朝倉との対立を強制しておきながら、いざとなったら朝倉方に復帰するという含みを残しているのであろう。何しろ、鬼神への願いは「富樫家筆頭家老」ではなく「天下取り」なのであるから。

 こういう点でも、醍醐景光とはもう一人の朝倉孝景なのである。

3.「境界線付近で苦しむ弱者」の象徴、どろろ

 史実の冷戦でも、まず中国がソ連から離反して米ソを天秤にかけ、さらにはその中ソを北朝鮮が天秤にかけるといった事態が起きた。

 だがこういうことを自在に行ってうまく立ち回れるのは各国の指導者クラスであり、民衆は常に振り回されたのである。「お前たちは(今日から)X国と徹底的に対立する、誇り高いY国民だ。X国からのスパイを見つけたら密告しろ!」と。

 西軍に所属して富樫政親と一時的に対立しているが実は西軍の正義にはまったく興味のない朝倉孝景と、富樫政親ひいては東軍に所属して朝倉氏と一時的に対立しているが実は天下を狙っている醍醐景光は、本人同士は安全圏にいて外交の一環として国境の「ばんもん」での対立を煽っている。それは現地の民衆にとっては死活問題なのである。

 この「境界付近で苦しむ庶民」の象徴として、男性のようにふるまう女性「どろろ」を持ってきたのだとすれば、性的少数者への視座として実に先見の明がある。

 この人たちも、二分法的な「振る舞い」を長年強制されてきたのであり、しかも冷戦の被害者たちと違って長年被害者であるということにすら気づかれなかったのであるから。

どろろ(1) (手塚治虫漫画全集)

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