このブログの記事内容がどんどんつまらなくなっている理由。 ひたすら知識欲を満たしていたら偶然「成りたい自分」に成れたという話。

1.当ブログ衰退の因果関係をさかのぼる

 このブログの更新頻度はどんどん低下しており、アクセス数も低下してきており、人気があるのは大昔に書いた記事ばかりのようである。

 最大の理由は「ネタ不足」である。現状では時間も不足しているが、ネタが無さ過ぎて仮に時間があってもこんな感じのままである。

 ネタが無くなった理由は、知識欲が激減してほとんど読書というものをしなくなったからである。

 知識欲がなぜ激減したかというと、あるとき「悟り」のような境地に達して、食欲以外の個人的な欲望がほぼ消えたからである。

 ではどうやってその「悟り」らしき境地に達したのかについては、「理論」に関しては以前の記事*1でも語ったので、今回は「過程」を中心に要約してもう一度書いておく。理屈まで知りたい人は過去記事を読んで欲しい。

2.子供のころ

 小学生に「何になりたい?」と聞くと、大抵は職業を答える。職業にこだわらない子も、「金持ち」とか「偉い人」とか答える。だが私は「怒らない、老成した人」になりたかった。

 幸か不幸か私の所属したクラスに必ず一人はいたのだ。子供のくせにまったく興奮しない、老成した達観者が。そういう子は普通の子からは別段羨ましがられなかったが、私は密かに羨望していた。

 私は個人として怒りっぽいのみならず、義侠心故の公憤なんてものもわいてくる厄介な性格で、子供のころから損ばかりしてきたのだ。怒りの大半を隠せるようになってからは、ますます内側から身を焦がされた。

 だが宗教は救いにならなかった。『聖書』は神が代わりに復讐してくれるといい、浄土真宗阿弥陀仏がやがて「怒らない人」にしてくれると約束してくれるのだが、100%それを信じ切るということができず、空手形の可能性が残ってしまったのである。

 「ああ、怒らない人になりたい!」

3.苦行(?)からの豁然貫通

 もう一つ私を苦しめた(?)のが知識欲である。私はとにかく情報の摂取が好きだった。

 「勉強が苦にならなくていいじゃん」と思ったら大間違いである。翌日のテストのために数学の勉強をしなければならない時間を割いて、ノストラダムスの伝記などを読んでしまっていたのが私なのである。

 様々なジャンルの「入門編」レベルの知識を漁りまくり、その中で漢学だけ他より多少努力して学んでいた。

 するとあるとき、仏教の中でも宗教的な救済とはほぼ無関係と思われていた基礎理論の部分である唯識が、「ストン」と納得できた。直接役に立った学問は、仏教の基礎知識・漢文読解能力・神経科学・ソシュール言語学の四つであるが、法学・経済学・心理学を通じて考えた「個とは何か?」・「欲とは何か?」も非常に役に立った。さらには『太平記』などの古典的な文学作品の中に出てきた多数の仏教的な和歌も、世間に流通している方便的な大乗仏教が比喩的に語っていた仏教精神も、すべてこの役に立った。

 その瞬間からこの数年間、怒りを含めた負の感情はほぼ消えたのである。個人的な欲望もほぼ消え、「今ではせいぜい世のため人のために役立つことを、死ぬまでの暇つぶし程度にやりたい」という欲らしきものと、あと食欲だけが残っている。

 毎日ほぼ何の苦しみもなく、目をつぶると自然に仏像が見えるようになった。

 これを「頓悟」といわず「豁然貫通」というあたり、やはりまだ仏教よりも儒教のクセが残っていると思う。

4.布教をしない三つの理由

 残った二つの欲についてまで消そうとは思っていない。消したかったものは全部消えたのであるから、消したいと思わないものまで「無意味なやり込み」で消そうとは思わない。

 これが布教をしない理由の第一である。私が食欲を消したいと思わないように、「怒りを消したい」なんて思わない人も多いだろう。そして私は過去の自分も含め、怒りっぽい人を軽蔑しているわけではない。誰もが「怒らない人」に成る必要はない。私がそう成りたかったのは、そう成るのが正義だからではなく、そう成るのが苦痛の除去だったからである。

 「高校を出て最初から仏教系の大学に行けば良かった」とは思っていない。私にとってはこれが最短ルートだったのである。

 これが布教をしない理由の第二である。人それぞれ最短ルートは異なる。「神が復讐して下さる。あースッキリ」で済む人もいるのだ。

 また私とて初めからこの最短ルートを知っていたのではなく、ほとんど宝くじに偶然当たったようなものである。

 これが布教をしない理由の第三である。「欲望のまま酒ばかり飲んでいたら、偶然ソムリエ芸人になれて一財を成した」という人が自分の経験を絶対視して「金持ちになりたかったらアル中を恐れず酒を飲みなさい」とか伝道したら、害悪そのものであろう。

5.布教をしないのにこんな記事を書いた二つの理由

 布教をするつもりがないのにこんな記事を書いた第一の理由は、最初に予告をしたとおり、このブログがつまらなくなったのは一過性のものではなく、今後も永久につまらないということを伝えることである。そうすることで、昔からの読者が余計な期待を持たずにすむだろう。

 「次の『ゴジラ』(や『ガンダム』や『スターウォーズ』)は、ひょっとしたら初代と同じぐらい面白いかもしれないよ~」という商売はしたくないのである*2

 第二は、たまたまかつての自分と同じような立場がいたら、参考になればいいと思ったというのもある。

 布教はしないが、誰かの参考になれば役立ちそうな情報は遺していく。おそらく一休さんもそんな気分だったのではないかと勝手に思っている。

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