「安倍政権の暴走」よりも何倍も怖い「ポスト安倍政権の暴走」

 「ポスト安倍誰であれ、安倍政権より危険」等と書くと、かなり熱狂的な安倍政権支持者ですら一歩引いて警戒するであろうが、私は本気である。

 理由は、政権の反対派が長らくスローガンとして「自公政権打倒」ではなく「安倍はやめろ」と唱えてきたからである。

 これは公明党自民党内の不満分子とも連帯する「含み」を持たせた運動だったのであろうが、その試みが成功しないままスローガンだけが延々と連呼されることになった。

 多少とも良心のある人は自己の言動に整合性・一貫性を持たせたくなるものであるし、良心が全く無くても多少の知能があるとそう振る舞いたくなるものだ。だから長年「安倍はやめろ」と何度も言いまくった人は、次の総理が誰であれ「安倍よりまし」という態度をとってしまい、政治を監視・批判することを怠るであろう。

 勿論極一部の鉄砲玉は前言を忘れて今度は「これでは安倍以下だ!」と言うかもしれないが、「「安倍はやめろ」と言っていたのは貴様だろう」という反論を浴びせられる事で、結局は影響力を持ち得ないだろう。

 「本当にそんなことが起きるのか?」と疑問に思う人は、森政権直後の小泉政権の「強み」を思い出して欲しい。

 もちろん次の政権が暴走しない可能性自体も十分にある。私が言っているのは暴走する「可能性が高い」という話である。

 ただ「暴走しなさそうな人が総理になったので一安心」などと思ってはならない。権力の暴走の確率は、最高権力者個人の資質のみならず、掣肘する者の多寡によっても相当左右されるのだから。

 「では安倍がもっと続投すれば安心なのか?」というとそうでもない。安倍政権が長引けば、それだけ「安倍はやめろ」の言質をとられる人の数も増え、後でそれを指摘する人の数も増えるだろう。あたかも小地震が中々こなければ大地震のエネルギーが蓄積されるように、先送りされた危険がどんどん膨らんでしまう。

 解決策があるとすれば、かつて「安倍はやめろ」と叫んだ人のうちのなるべく多くの人が、次の政権に余計な期待を持たず是々非々で監視をして、欠点を見つけたら潔く自己批判をした上で「この点では安倍政権のほうがずっと良かったので見習って欲しい」と声をあげることである。

 そして今後は、単純なスローガンに頼るのはやめる事だ。