「戦争責任の反省はドイツに学べ」が左派を変質させた可能性について

1.現状確認

 以前別の記事*1にも書いたが、私は「日本全体が右傾化している」という言説には賛同しない。ただし「社会主義が退潮した」・「自衛隊の人気が高まった」という二点に本当に話を限るならば、その二点に関してはここ半世紀は右傾化してきているという言説に賛同する。

 このうち、「社会主義が退潮した」件についてはソ連の弱体化・崩壊が最大の原因であることは、かなり多くの人の共通了解となっている。

 しかし「自衛隊の人気が高まった」、言い換えれば「自衛隊違憲説の影響力が弱まった」件の原因については、あまり共通了解らしきものが見当たらない。

 今日も老左翼の闘士のブログを見たら、「最近の若い左翼の多くは差別反対ばかり叫び、憲法九条を護ろうとしない。そんなものは真の左翼ではない」みたいな愚痴が書かれていたのだが、「何故自分達は左派業界の中で老いた少数派になってしまったのか?」の分析は、されていなかった。

2.これが大きな原因かも?

 以下は私の拙い人生経験・読書経験からの推測なので、「いや、もっと大きな原因があった。それはこれだ!」とか「いや、それはむしろ変質のブレーキ役になった。なぜなら、かくかくしかじかだ。」といった意見は大いに寄せて欲しい。

 私は、「戦争責任の反省はドイツに学べ」が多くの左翼人士から自衛隊への嫌悪感・忌避感を奪った可能性が高いと見ている。

 前にも別の記事*2で書いたが、幼い頃の私の周囲の左派は、日本の反省をドイツより(かは)素晴らしいものだと誇っていた。曲がりなりにも正規軍を廃止し、周辺諸国には多くの賠償金や事実上の賠償金を支払ったのだと。

 しかしある時期から急に左派内部で「ドイツの方が反省しているから、あのやり口に学べ」という声が高まっていった。

 最初は小さな声であったが、「もっと反省しろ」の部分が量的な意味でアンチ右派の言説だと思われたせいか、一気に左派内でヘゲモニーを握った感がある。

 これが左派内の主流派になった以上は、自衛隊国防軍になろうとも外国に遠征しようとも、「ドイツもコイツもやっていることだし、反右派闘争とは原則無関係の事象だ。」という風潮が高まるのも無理はない。

3.新思潮の右派への打撃は?

 ではこの「戦争責任の反省はドイツに学べ」論が右派に痛撃を与えたかというと、あまり大きな打撃にはならなかったと見ている。

 おそらくは「自衛隊廃止論者より与しやすし」と思われたのだろう。右派からはほぼ黙殺されたと記憶している。それがまた左派内部での新思潮の台頭の原因になったのかもしれない。

 右派にとって「与しやすい」のは何故かというと、日中戦争にもっとも似ているドイツの行為といえばバルバロッサ作戦であるからだ。

 黙殺をしなかった右派の反応も、せいぜい「へ~、敵の焦土戦術に嵌って無謀な戦争を続けた件への謝罪は、戦後のドイツが戦後のソ連に対して行った程度でいいんですね?」と皮肉を返すだけであったと記憶している。

 新思潮の主張者の多くは、「ドイツが絶滅収容所の被害者に謝罪したように、日本も戦争(と、あわよくば植民地支配)を反省しましょう!」と言いたかったのであろうが、外部にはそのようには伝わらなかったようである。

 勿論本章も前章と同じく私の見聞に基づくものに過ぎないので、「いや、新思潮で右派もこんなに変質した。例えばこの件だ。」等の異論反論は大歓迎である。

4.仮に正解だったとして

 以上を読んだ人の中には、「仮にその通りだとしたら、反右派闘争には大して効果のなかった新思潮のせいで非主流派になってしまった老左翼闘士さん、可哀想」という感想を持たれた方も多いかもしれない。

 しかし私はそんな同情はしていない。

 本稿で典型例として挙げた一世代前の左派とて、同じ手法で二世代前の左派を追い払った連中だからである。二世代前の「ブルジョア憲法ナンセンス」よりも右派にとって与しやすい存在だったのが一世代前の「護憲論」なのである。

 こういう交代劇は今後も数百年以上どうせ繰り返されることであろうし、過去に少数派に貶められた連中が努力と創意工夫によりまた復活するケースとてあるだろう。