『サクラ大戦 漫画版』第二部完結を祝う。まさに現代の『南総里見八犬伝』。

 『サクラ大戦』の第一作の内容を非常に丁寧に描いてきた『サクラ大戦 漫画版』が、約20年を費やしてようやく完結した。

 まずかつて私が書いた「総論」「第一部紹介」のリンクを貼っておくので、未見の方は参考にして頂きたい。

 いずれまたこの第二部についても各巻ごとの感想を書く可能性もあるが、今は完結をとにかく称賛したい。

 さて、この漫画版第二部にあたる原作ゲームの後半部分は、敵組織の背景事情もほとんど書かれておらず、超展開に見える部分も多かった。また『サクラ大戦2』とのつながりも弱かった。よって漫画化に当たっては、手を抜こうと思えば幾らでも手を抜けた筈の部分である。また原作を完全に無視しても怒るような人は非常に少なかった筈の部分である。

 しかし作者の政一九氏は、ゲームで描き切れていなかったこの後半部分の内容に地道な肉付けをしてボリュームを寧ろ増やし、かつ超展開に見えた展開を超展開ではなくしてしまう背景事情の丁寧な説明も描いたのである。

 原作軽視でも原作盲従でもない、真の原作尊重の姿勢をここに見た。

 またその肉付けに当たっても、単なる独自世界の開陳に陥るのではなく、放映時には人気のなかった『サクラ大戦TV』を参考にする姿勢が見られた。まさに初代『サクラ大戦』の世界の集大成といった趣があった。

 政一九氏のツイッター*1を拝見したところ、完結後に複数回の入院をしていたようで、苦労がしのばれる。

 商業主義の力が強い漫画というジャンルで、ここまで作者が心血を注げたのは、根強い固定ファンが支持層であったことも大きいであろう。

 これがもし、もっと不人気の作品であれば商売として成立しなかったであろうし、逆に一過性のファンを大量に抱えている時期であれば「もっと早く簡潔に描き切れ」という重圧に抗し切る事は不可能だったに違いない。

 ここまで書いてきて気づいたのが、こうした事情の『南総里見八犬伝』の出版経緯との類似性である。

 『八犬伝』は、サクラ大戦スーパー歌謡ショウでは神崎すみれが不在の時期に演劇化されたため配役が適正とは言い難かったが、八人体制の花組と比較すると登場人物達の境遇が異常な程似ているのである。この詳細については歌謡ショウの感想記事を御覧頂きたい。

 『八犬伝』は、もっと短く纏めようとすれば纏められたとされる作品であり、また当初の構想ではもっと短かったとされている。馬琴はこの作品を九つの「輯」に分けているのだが、第九輯だけ「上中下」体制であり、その「下」がまた「上中下」に分かれており、その「下帙之下」にだけ「甲乙」があり、その乙がまた「上中下」に分かれ、その「下」がまた「上中下」に分かれている。書いている途中から、納得のいくまで書きたくなったのであろう。

 この途中、出版元が変わったり、自身が失明したりといった困難にも苛まれたものの、それでも馬琴は書ききったのである。

 こういう態度が許されたのも、馬琴が日本における商業ライターの第一号であり、商業主義と趣味の狭間に生きる事を許される絶妙な立場であったからである。

 今までも『サクラ大戦』は『南総里見八犬伝』と主要登場人物が酷似していたのに、ついにこうして出版経緯まで酷似したというわけである。