昭和天皇の有名な「文学方面」という表現に関するちょっとした思いつき

 前回記事を見なおしていて急に思いついた話を語る。

 こちらのページからの孫引きになるが、昭和天皇は記者会見で「いわゆる戦争責任」を問われ、「そういう言葉のアヤについては、私はそういう文学方面はあまり研究もしていないのでよくわかりませんから、そういう問題についてはお答えが出来かねます」と答えたらしい。

 この返事に対して「とぼけて話題をそらした」と解釈をする人は多い。

 しかしこの「文学」という言葉は多義的なので注意が必要である。

 狭く解して「文芸作品、またはその解釈の手法」とみなした場合は、確かに質問への返事としては不誠実なものに見える。

 一方で文学には「人文系の学問全般」という意味もある。「文学部」はその用法の好例である。

 当該質問の少し前には生物学の話題も出ていたので、その対比としてこちらの意味で語った可能性もある。

 もし広い意味の「文学」だった場合、「私は倫理学国際法学も素人同然であり、それでいて発言には非常な権威が伴う立場である。安易に「自分に戦争責任がこの程度ある」等と語ってしまうと、他の誰かの戦争責任の軽重まで反射的に不当に歪められてしまう可能性もある。自分にどの程度の戦争責任があるかについては、しっかり人文系の学を修めた者たちの判断に委ねるべきである」という意味にも取れ、これはむしろ非常に潔い態度とも解釈できる。

 なお原典は確認していないし当時の記者会見での雰囲気も知らないので、「それは実際の音声の抑揚から考えるに、あり得ない解釈だよ」等のご指摘は、当然ながら大いに歓迎する。

かつて批判した『戦争責任論の盲点』の後半部分への二度目の擁護

1.これまでの経緯

 かつて『戦争責任論の盲点』の前半部分に100点を与えて後半部分に0点を与えるという、非常に極端な記事を書いた。

 この後半部分のうちの日本共産党の戦争責任を論じた部分に関しては、文章が書かれた時代の状況も考えてある程度批判を緩めるという宣言をした。

 今回はそれに続けて、昭和天皇の戦争責任を論じた部分についても、同じような論法で批判を緩めるという宣言をしようと思う。

2.二度目の擁護

 おそらく『戦争責任論の盲点』が書かれた時代には、ほんの十数年前まで「主権者」だった昭和天皇が「象徴」になったという衝撃は常識としてほぼ誰もが知っていたのであろう。

 そしておそらくは、丸山はそこに甘えた上で「その程度ではまだ責任の全部をとり終えたとは言えない」という意味をより文学的に過激に表現するため、「全く責任をとっていない」と筆を滑らせたのであろう。まさかこの文章が半世紀以上の知名度を保つとはつゆ思わず、読者との間の了解済みのこととして、あえて不正確な記述をしたのであるというわけだ。

 そしてそういう「文学方面」をあまり研究していなかった若造の私は、「なんて不正確な記述だ!」と思ってしまったというわけだ。

3.とはいえ若者には危険な文章であることに違いない

 そういうわけでこの文章への評価は、私の中で「前半100点後半20点」ぐらいまできた。

 とはいえやはりそうした時代状況を知らない若者が「これは素晴らしい文だ」と年長者に紹介され一字一句鵜呑みをするという事態は、やはり危険である。

 『戦争責任論の盲点』の共産党への誹謗を鵜呑みにすると、「ファシズムによる民衆への被害を98%減らせるものの、勝敗でいえば抵抗運動の側が惜敗してしまう可能性のほうが50%より僅かに高い」という抵抗運動をしない大人に育ってしまうだろう。

 昭和天皇への誹謗を鵜呑みにすると、「主権者でなくなることなんて、なんの損でもない」と思い、主権を君主や貴族や外国に移譲することが平気な民へと育ってしまうことであろう。

さいふうめい原案・星野泰視画『哲也 雀聖と呼ばれた男』の時系列を整理してみた。そして途中で厭になった。

 さいふうめい原案・星野泰視画『哲也 雀聖と呼ばれた男』を再読して時系列を纏めてみた。準拠はコミック版である。

※第1話 昭和19年阿佐田哲也15歳から物語は始まり、昭和20年敗戦時に16歳と明記される。

※第2話 昭和20年16歳の状態で始まり、「そんなある日」印南に会い「横須賀の米軍基地に一年間通った」亀鉄の存在を教わる。よってこの時点で昭和21年9月以降

 ここで「数年後」印南に再会すると書かれるが、後々にこれが問題となる。

※第3話 昭和21年と明記される。横須賀で近藤と組む。

※第7話 まだ昭和21年。ここからしばらく房州に弟子入りし、新宿最強コンビとしてやっていく話が続く。

※第17話 房州が引退し、その「半年後」黒シャツを着た新デザインの哲也の姿が描かれる。

※第18話 昭和22年。ダンチとの腐れ縁の始まり。印南と再会する。別れてから最大限長めに見積もっても1年と3ヶ月弱しか経過していないので、第2話の記述と矛盾。

※第26話 印南との戦いが終わり雪が降る。

 常識的に考えればこのとき昭和22年末であるが、亀鉄を知ったのが昭和22年9月初頭でその後の近藤や房州との関りが数日間で印南との再会がさらにその半年後であったとするならば、昭和22年3月ごろの季節外れの雪の日という可能性もゼロではない。しかしその場合は「数年後」に再会するはずの印南と半年で再会したことになってしまう。

※第27~65話 しばらく時代設定が不明の話が続く。第38話で房州が死ぬ。

※第66話 片山内閣がボチボチ倒れる「らしい」と作中人物が語る。本当に末期であったかは不明であるが、昭和22年5月24日~昭和23年3月10日のある時点であることは確実である。

※第68話 第66話の翌朝なのだが名古屋場所の初日」。その後この名古屋場所は15日間続いた。

 名古屋で本場所が始まるのは昭和33年、準本場所が始まったのも昭和26年であった筈なので、これはあくまでフィクション上の設定だと思う。「片山内閣時代にも名古屋場所があった」という情報をお持ちの相撲ファンのかたからの情報もお待ちする。

※第94話 悪徳警官の銭亀の逆恨みから逃げるため、哲也は一人旅をする。ダンチを主役とした番外編の内容から考えるに、この旅は3ヶ月以上続いた。

※第95話 金沢にて、かつて学童疎開で別れた幼馴染の小夜子と再会する。この再会は4年ぶりだが、一瞬「3年ぶり」と間違えそうになったので、「4年弱」程度であると推測される。

 史実で学童疎開が始まったのが昭和19年8月であるので、その3年7ヶ月後だとすれば昭和23年3月。これ以前に遡りはしない筈である。

 逆に疎開をしたのが昭和20年でありその後4年半経過していると考えても、まだ昭和25年初頭といったところである。

※第107話 金沢での戦いの直後に魚津に来た筈なのだが、漁の手伝いの日当として昭和30年9月1日発行開始のデザインの50円玉を受け取る。

 正直「なんじゃこりゃ」という気分で、そろそろ真面目に検証をするのが馬鹿馬鹿しくなってきた。

※第114話 佐渡島付近の公海上の戦いで、国共内戦が続いているとの設定が語られる。また昭和25年以前の世界に戻ってきた。

※第121話 まだ朝鮮戦争が始まっていないという設定が語られ、昭和25年6月以前と判明。

※第134話 印南が1年前に函館に来たという証言があり、第26話から1年以上経過したことが明らかになる。

※第138話 哲也は旅から帰り、新宿の支配を目指すドサ健との戦いが始まる。

※第162話 ドサ健が昭和11年2月26日に起きた二・二六事件「今から十一年前」と回想していた。よってこの時点で昭和22年2月ごろまで時間が遡ったことになる。

 ここでもう真面目に検証をする気が完全に失せた。サザエ時空より酷い。

※第188話 ドサ健に敗れた哲也はまた旅に出る。

※第279話 二度目の旅から帰還。

※第308話 この時で第38話で死んだ房州の五回目の命日と判明する。昭和28年初頭前後か?

 その後はほぼ時間が流れず最終回へ。

 金沢の50円玉とドサ健の記憶の件さえなければ、何とかまともな年表を作れそうであるが、作る気にならないので誰か作ってほしい。終わり。

「日本を戦争の出来る国にするな!」という人たちが「だから食料自給率を下げろ!」と言っているのをまだ見たことがない。

 「日本を戦争の出来る国にするな!」という主張をしている人たちを、駅などで時々見かける。

 ところが詳細に話を聞くと、いつもその目的を達成するための具体論は、法律の話がほとんどである。あとはせいぜい武器弾薬の話がたまに出る程度である。場合によっては靖国神社がどうとかという精神論が主流だったりする。

 しかし科学的にものを考えるならば、一国の戦争遂行能力を下げるには、食料自給率を下げるというのも効果的な方法のはずである。外国と不仲になった途端に食料不足になるのであれば、戦争どころではなくなるからだ。

 ところが「日本を戦争の出来る国にするな!」の人たちが「だから食料自給率を下げろ!」と言っているのを見たことがない。ひょっとしたら多少はそういう立場の人もいるのかもしれないが、管見の限りでは見た事がないし、家族や友人に聞いてもやはり見た事がないそうだ。

 勿論「必ずそう主張しろ!」と言っているのではない。例えば「親戚の農家の儲けが第一で、日本国の戦争遂行能力の低下が第二」という複雑な立場の人がいるのは何の不思議でもない。

 しかしほぼ皆無というのは、余りに不自然だ。

 「戦争の遂行には食料が必要であり、食糧不足の前では神社による精神力なぞ誤差の範囲内」と先の大戦で多くの日本人が学んだ筈であるのに、実に不思議な話である。

菅義偉氏は、自分の人生で最高の総理大臣であった。今だから言える。

 安倍政権時代に安倍政権の批判者の多くが、イデオロギーの差を超えて無理矢理連帯するために「安倍はやめろ」という単純なスローガンに頼った。スローガン頼りの数合わせというのは、まさに政権獲得前のファシズムそのものであった。

 そこで私は、「「安倍政権の暴走」よりも何倍も怖い「ポスト安倍政権の暴走」」という記事*1を書いた。

 要約すると「権力というものは暴走しやすいものであり、民主主義国家における権力の暴走の程度は、神輿の個人的資質よりも、政権批判・政権監視の質と量に左右される。そしてかつての森政権末期以上に長く「安倍はやめろ」の大合唱が続いたので、次の政権への監視は絶対に弱まる。だからほぼ確実にファシズムの時代が来る」という内容であった。

 だがこの予測は良い意味で外れた。

 ポスト安倍政権を担った菅義偉氏は安倍政権でも大いに活躍した人物であり、閣僚にも安倍政権時代から大臣であった人物が多々いた。このため「安倍はやめろ」ばかり言っていた人の新政権批判は、私が事前に予測していた程は弱まらず、馬鹿にもされなかった。

 つまり菅義偉氏は、本来は暴発する筈だったファシズムのエネルギーを、小出しにさせる事で鎮静化してくれたといえる。

 しかし私はそれを中々褒める訳にはいかなかった。「菅総理が反安倍ファッショの後始末をして下さっているんだぞ! みんな感謝せい!」等という内容の記事を発表してしまうと、それがまた政権批判・政権監視を弱めることとなってしまうからである。

 本日、総理が辞任の意向を表明した。仮に万が一この意向を撤回したとしても、かつて私が心配していたようなカリスマを短期間で入手することはあるまい。

 今だから言える。菅義偉氏は、自分の人生で最高の総理大臣であった。

 本当にありがとうございました、お疲れ様でした。

 私は死ぬ前にこれだけは言い残しておきたかったのである。

『サクラ大戦 漫画版』第二部完結を祝う。まさに現代の『南総里見八犬伝』。

 『サクラ大戦』の第一作の内容を非常に丁寧に描いてきた『サクラ大戦 漫画版』が、約20年を費やしてようやく完結した。

 まずかつて私が書いた「総論」「第一部紹介」のリンクを貼っておくので、未見の方は参考にして頂きたい。

 いずれまたこの第二部についても各巻ごとの感想を書く可能性もあるが、今は完結をとにかく称賛したい。

 さて、この漫画版第二部にあたる原作ゲームの後半部分は、敵組織の背景事情もほとんど書かれておらず、超展開に見える部分も多かった。また『サクラ大戦2』とのつながりも弱かった。よって漫画化に当たっては、手を抜こうと思えば幾らでも手を抜けた筈の部分である。また原作を完全に無視しても怒るような人は非常に少なかった筈の部分である。

 しかし作者の政一九氏は、ゲームで描き切れていなかったこの後半部分の内容に地道な肉付けをしてボリュームを寧ろ増やし、かつ超展開に見えた展開を超展開ではなくしてしまう背景事情の丁寧な説明も描いたのである。

 原作軽視でも原作盲従でもない、真の原作尊重の姿勢をここに見た。

 またその肉付けに当たっても、単なる独自世界の開陳に陥るのではなく、放映時には人気のなかった『サクラ大戦TV』を参考にする姿勢が見られた。まさに初代『サクラ大戦』の世界の集大成といった趣があった。

 政一九氏のツイッター*1を拝見したところ、完結後に複数回の入院をしていたようで、苦労がしのばれる。

 商業主義の力が強い漫画というジャンルで、ここまで作者が心血を注げたのは、根強い固定ファンが支持層であったことも大きいであろう。

 これがもし、もっと不人気の作品であれば商売として成立しなかったであろうし、逆に一過性のファンを大量に抱えている時期であれば「もっと早く簡潔に描き切れ」という重圧に抗し切る事は不可能だったに違いない。

 ここまで書いてきて気づいたのが、こうした事情の『南総里見八犬伝』の出版経緯との類似性である。

 『八犬伝』は、サクラ大戦スーパー歌謡ショウでは神崎すみれが不在の時期に演劇化されたため配役が適正とは言い難かったが、八人体制の花組と比較すると登場人物達の境遇が異常な程似ているのである。この詳細については歌謡ショウの感想記事を御覧頂きたい。

 『八犬伝』は、もっと短く纏めようとすれば纏められたとされる作品であり、また当初の構想ではもっと短かったとされている。馬琴はこの作品を九つの「輯」に分けているのだが、第九輯だけ「上中下」体制であり、その「下」がまた「上中下」に分かれており、その「下帙之下」にだけ「甲乙」があり、その乙がまた「上中下」に分かれ、その「下」がまた「上中下」に分かれている。書いている途中から、納得のいくまで書きたくなったのであろう。

 この途中、出版元が変わったり、自身が失明したりといった困難にも苛まれたものの、それでも馬琴は書ききったのである。

 こういう態度が許されたのも、馬琴が日本における商業ライターの第一号であり、商業主義と趣味の狭間に生きる事を許される絶妙な立場であったからである。

 今までも『サクラ大戦』は『南総里見八犬伝』と主要登場人物が酷似していたのに、ついにこうして出版経緯まで酷似したというわけである。

いつまでも少数派のままである立場は、論者自身に欠陥がある事も多い。これをもっと強調すべきだったと反省。

1.少数意見への私の態度の前史

 このブログを始める少し前に、自分は「これだけネットが発達したからには、言論の自由市場」は最早画餅ではない。「戦う民主主義」はそろそろ古い」という意見に至り、「55:45」ぐらいで「戦わない民主主義」のほうを支持してきた(参照→https://gureneko.hatenadiary.org/entry/2019/08/11/065735)。

 加えて自分自身が既に大勢が主張している意見の百番煎じをするというのが苦手であった(参照→https://gureneko.hatenadiary.org/entry/20110316/1300268047)。

 このため極左・極右・カルトの意見にも一定の敬意を払い、批判をする時も頭ごなしに否定をするのではなく「何故その見解がおかしいのか」を丁寧に語り、門前払いをする時ですら門前払いの理由を説明してきた(一例→https://gureneko.hatenadiary.org/entry/20121008/1349693676)。

 そして「中道」である事自体を誇り思考停止している様な連中を厳しく批判してきた(一例→https://gureneko.hatenadiary.org/entry/20090614/1244906691)。

2.コロナ時代の現状を見て反省

 しかしコロナ時代に入り、それまで私が散々甘やかしてきた幸福の科学の会員たちが、ウイルスを蔓延させる危険な教義を信じ、また実際にそれに従って行動している事を知った(参照→https://gureneko.hatenadiary.org/entry/2020/04/14/054930)。

 ウイルスやマスクやワクチンについて酷く非科学的な陰謀論を流している連中に、普段政治的には極右・極左である連中の比率が高い事も知った。

 こういう傾向を見て、もう少しあの連中に厳しい態度を示していれば良かったと反省したものである。

 今後も「53:47」ぐらいで言論の自由市場を制度としては支持するが、異常な見解にはもう少し厳しく接していく予定である。

3.「いつまでも少数派のままである立場」について意識的に語っておく

 ある立場が「いつまでも少数派のままである」ことについては、様々な原因が有り、誰が悪いのかについて一概に決め付ける事は出来ない。しかし原因が主張者達の無能さにある場合が多い事もまた事実である。

 これについては反省前にも「匂わす」程度の記事(https://gureneko.hatenadiary.org/entry/20130615/1371296011)は書いていたので、その記事の注釈の形でもう少し意識的に語ってみようと思う。

 第二次世界大戦の日本の立場を強く肯定する、所謂「大東亜戦争肯定論」というものがある。「所謂」と付けたのはこの名称に疑問があるからであるが、ここでは通念に従う。

 これを強く主張する者達の戦争に関する知識の平均的な量は、確かに第二次世界大戦への評価が「中間値」程度である者達の平均を遥かに凌いでいる事であろう。中間値を採る者には、「その話題はよく知らないので、安全のため様々な意見の中間ぐらいを採用しておこう」程度のノンポリが多く含まれるからだ。

 だから肯定論者(または完全否定論者)がそういったノンポリを表面的に説得する事は、相当簡単である。

 しかし対中戦線についての「この程度の侵略は当時はそんなに悪い事ではないですよ」という説得を信じた者の多くは、「あの程度の植民地支配を強引に「解放」するなんて酷い!」と大東亜共栄圏の理想への評価を自然に低下させるものであり、逆も然りである。

 よって「戦争の知識は多少有るが、不公正な人」が幾ら努力しても、国内における戦争全体への評価はほぼ変わらない。「戦争の知識もなく、不公正な人」という自分達の予備軍を若干名仲間に入れられる程度であり、しかもその新しい仲間は異常な程極端な「転向」をいつしてもおかしくない危険分子である。

4.他の問題とも通底してしまう理由

 そして「ある話題のある立場を支持するのに都合の良い情報にしか目がいかない無能な者」が、別の話題で急に賢くなる事もほぼない。だから歴史に関して極論を言う者の多くは、経済問題でも韓国問題でもコロナ問題でもやはり極論を言う事が多い。

 しかも彼等は知識だけは平均的一般人より僅かに多いので、本質的には自分達より賢い一般人を「無知な大衆」と馬鹿にしてしまう。

 だから「そんな賢い自分達が少数派であり続ける理由」を、大概は死ぬまで理解出来ないのである。