世界民主主義指数ランキングへの興味が薄い日本人について、特に興味が薄い部分が「民主主義」なのか「世界ランキング」なのかを考えた。

 以前の記事(https://gureneko.hatenadiary.org/entry/2019/09/25/084717)で、日本人が「世界民主主義指数ランキング」への興味が薄く、そのために「アメリカから民主主義を学べ」という見解が横行して日本の民主主義運動の質を下げている事や、韓国を不当に尊敬または軽蔑する見解が横行して親韓・嫌韓運動の質を下げているという事について、語った。

 本稿はその続編として、「では具体的に、特に興味が薄い部分が「民主主義」なのか「世界ランキング」なのか?」について、考えた事を語る。

 参考となったのは、「世界教育水準ランキング」への絶大な人気である。これについては、「一位のフィンランドに学べ!」論者と「いや以下の理由から猿真似は危険だ」論者とが、日々活発な議論を展開している。

 つまり日本人はジャンルによっては世界ランキングに興味を持つ国民なのである。順位を上げたくて堪らないジャンルについては、日々一位を何らかの形で意識しているのである。

 よって日本人が「世界民主主義指数ランキング」への興味が薄いのは、「民主主義」への興味が薄いからなのであろう。

 以下、日本人の「民主主義」と「教育」への興味が逆転したパラレルワールドの様子を推測してみる。

 その世界の日本では毎年の様に「民主主義はノルウェーに学べ!」論者と「いや言葉の壁のせいで危険だから英語圏一位のニュージーランドに学べ!」論者とが活発に議論しており、その努力の御陰で日本の民主主義指数も7位ぐらいはある。

 その一方、教育に関しては興味がある振りをする者ですら「先進的な学問といえば昔から蘭学と決まっている。よってオランダの猿真似をすれば全て上手くいく」と叫び、gurenekoのような臍曲がりだけが異を唱えている。このせいで日本の教育水準はせいぜい17位程度である。

ウクライナの昭和天皇問題で「完敗」した集団がいることは、ほぼ知られていない。

 最近ウクライナが、「1945年に自国がファシズム・ナチズムに勝利した」と誇るツイートをした際に、ヒトラームッソリーニの写真とともに昭和天皇の写真を並べ、その後で昭和天皇を消した事は有名である。

 掲載して直ぐ消したため、昭和天皇を好む者も憎む者も「一得一失」ぐらいの感想を持ったようである。両勢力は「完勝」も「完敗」もしなかったと言える。

 ところがこの事件で「完敗」した集団が上記二勢力とは別にいる。いるのだが本人達が目立とうとしないため、ほぼ知られていない。

 その完敗者とは、ロシア擁護のために「ウクライナ政府はネオナチに操られている」と言い張りたい人達である。

 ウクライナにナチズムに対して一定の評価をする集団がいること自体は誰しもが認める所であるが、その集団のナチスとの類似性の強弱や政府への影響力の多寡をめぐっては、様々な論争や宣伝工作が行われてきた。

 しかし日本では今回の昭和天皇騒動により、ウクライナ政府はヒトラーを敵視している」という現実が徹底的に知れ渡った。

 これにて、ウクライナ政府は親ネオナチ勢力に操られていないか、またはウクライナを操っているとされる親ネオナチ勢力とはヒトラームッソリーニは「どちらかというと悪」と評価している穏健な回顧主義者であるか、もしくはその両方だ」と、日本人の多くは思うようになった。

 大声で延々と昭和天皇の写真を巡る論争をした上述の二大勢力は、まるで反露という共通の目的のために、この事実をより多くの一般人に教えるための意図的なプロレスをしているかのように私には見えた。これは冗談ではなく、今回のロシアのウクライナ侵攻の是非をめぐっては右翼内部でも左翼内部でも強い論争があり、左右よりも「反ワクか親ワクか?」の問題との方が何故か相関が強いとの見解が有力である。

 以上のように今回の騒動では「ウクライナ政府はネオナチに操られている」論者だけが「一人敗け」をしたのであるが、事の性質が「敗けた敗けたこん畜生!」と叫べば叫ぶほど更に辛い状況に陥るものであったためか、息を潜めてやり過ごそうとしているようである。

 そこで私が「みんなが「今回は引き分けだった」と思っている陰に、こんな連中もいるよ!」と紹介した次第である。

ウクライナがヒトラー・ムッソリーニ・昭和天皇を並列させた件で騒動が起きているが、なぜか話題にならないヴィットーリオ=エマヌエーレ3世

注.時間がないので制限時間15分で大急ぎで書く。本題の論法の欠点のみならず誤字脱字の指摘も大歓迎である。

 ウクライナヒトラームッソリーニ昭和天皇を並列させた件で、「この三国の並列ではそもそも駄目だ」とする立場の人(タイプA)と、「日独伊の並列は賛成または黙認できるが、日本代表は別人であるべき」とする立場の人(タイプB)が、不満の声をあげている。

 タイプAについては、「日本を抜くべき」とか逆に「スペイン等も加えるべき」とか内部で多様性がありそうだが、本稿の本題ではないのでさておく。

 タイプBについても、「東条英機であるべき」とか「近衛文麿であるべき」とか色々ありそうだが、これも本題ではないのでさておく。

 また折衷的な立場として、「この三国の並列という時点で良くて50点満点。しかも日本代表の人選が下手なのでさらに減点して25点ぐらい」などの人もいるだろうが、これも今回の本題ではない。

 私がこの件で一番疑問に思いかつ残念に思った点は、「日本代表として昭和天皇を載せるなら、それと並列的なイタリア代表はヴィットーリオ=エマヌエーレ3世であるべきだ」という立場で不満を持つ人(タイプC)が、管見の限りでは一人もいなかったことである。

 仮に「かくかくしかじかの理由により、ムッソリーニ以上の大悪人だったから」という結論に達しなくても、「それでも国の顔だったから」という理由で国家元首同士で写真を揃えるというのは、そう不思議な事ではないだろう。

 なお余談になるが、スターリン時代の名目上の元首であるカリーニンについても、当時の功罪や後世が彼をどう扱うべきなのかにつき、もっと研究・議論がなされるべきであると私は考えている。「考えている」だけで自分で研究する実力も時間もないのが残念であるが。

 さらに余談になるが、『提督の決断2』ではオランダの元首をウィルヘルミナ女王としていながら、イギリスやオーストラリアの元首はジョージ6世ではなかった。これについて、制作会社にはしっかりとした説明をしてほしいと思う。

漠然とした所謂「大東亜戦争肯定論」と「同、否定論」は、共にロシアへの評価を不当に上げてしまう。

注.大東亜戦争肯定論」という用語は嫌いなので(理由→https://gureneko.hatenadiary.org/entry/20160213/1455326532)題名には「所謂」を付けた。

 最近のロシアのウクライナ侵攻をめぐり、「日本人は不当にロシアに甘い」という記事(https://gureneko.hatenadiary.org/entry/2022/02/26/070127)を書いた。

 そして一ヶ月以上その原因を探っていたのであるが、遂に一つの結論に達した。以下はその思考の開陳である。

 世の中には、第二次世界大戦における日本の大義が交戦相手の大義より勝っていたとする論と、劣っていたとする論がある。これらの論は漠然と「大東亜戦争肯定論」や「同、否定論」などと呼ばれ、漠然と「そういう議論があるのだね」と認識されてきた。

 しかしこれは不思議な話である。第二次世界大戦で日本が戦った国は様々であり、それぞれの国ごとに大義の多寡は議論されるべきだからだ。

 「全部日本の方が正しい」という人だって、冷静になれば「特に悪い国は甲国であり、一番マシだった国は乙国である」という評価を持っている筈だ。そしてほとんどの人にとって甲国に当たるのが、中立条約を破って奇襲してきた上に領土まで奪っていったソ連である事は言うまでもない。乙国に当たるのは、さしずめ当時帝国主義国ではなかった中国といったところか。

 「全部日本の方が悪い」という人だって、冷静になれば「特に善い国は丙国であり、一番善が少なかった国は丁国である」という評価を持っている筈だ。そしてほとんどの人にとって丁国に当たるのが、中立条約を破って奇襲してきた上に領土まで奪っていったソ連である事は言うまでもない。丙国に当たるのは、さしずめ当時帝国主義国ではなかった中国といったところか。

 それなのにこの議論は主張が漠然と二つに分類されてきた。二分類されることで、論者たちは自分の真の「敵」を、自分が所属させられた分類とは異なるもう一方の分類だと思い込んできた。

 そういう構造によって生み出された日本の世論で一番得をしたのは、当然ながらかつてはソ連であり、今はロシアである。損をしたのはおそらく中国であろう。

 この構造は改められなければならないが、既存の論者一人一人を説得して「転向」させるのは至難である。

 そこで今までこの問題に深くは関わってこなかった人たちの中から、「日本による西(や南)への侵略を深く悔悟すると同時に、樋口季一郎中将を神の如く称える」という運動でも起きないものか、と期待する。

オウムが全人類を滅ぼせていた確率は、それなりに高い

 オウム真理教の脅威を説く理屈として、「全人類の致死量を超える量のサリンを既に作っていて、その後さらに質や量を高めていたかもしれない」と語り、そこで話を打ち切るというものがある。

 これについての有力な反論がある。「そういうのは叙述トリックである。全人類に致死量ずつ配るのは不可能だから、最大限上手くいっても世界の大都市の人口が一時的に零になるだけだ。サリンでは文明の施設は無傷なので、田舎から出てきた生き残りがまた文明を再興しただろう」というものだ。

 この反論自体は原則として正しいと私は考える。

 しかしそれでいてなお、「オウムが全人類を滅ぼせていた確率は、それなりに高い」と考える。

 なぜなら「核保有国の多くの有力都市の人口が、ある日一斉にサリンで100分の1になったとして、どの国も冷静に核を撃たずにいられるだろうか?」と考えるからである。場合によっては、政治家全員が冷静でも迎撃システムが発動してしまっていたかもしれない。

「これは戦争ではない」という主張に甘い私でも、一定の限度がある。

 現在では一般に西暦1937年から日中戦争は事実上始まっていたという理解が強いが、1941年12月9日に蒋介石が日本に宣戦布告をするまではその武力衝突は「事変」という名目になっていた。戦争中の国とは貿易をしないという建前のアメリカが日中両国と貿易を続けていたので、この名目はある程度実質を伴っていたといえる。

 「あの戦いは前半は「支那事変(または日華事変)」と呼ぶべきだ」という見解は右派に多いが、私も原則としては「そういう意見もあっていい」という比較的好意的な立場である。

 しかしそういう人が同時に「アメリカはフライングタイガーズ部隊で蒋介石を支援していたので、実質的に日米戦争はそのときから始まっていた。だから真珠湾攻撃は騙し討ちではない」なんて言いはじめると、「貴方の見解通りにあれが戦争ではなく事変であったならば、アメリカも事変に介入しただけということになる」と反論をすることにしている。

 逆もしかりであるケースが多々あるが、本題ではないので今回は論じない。

 さて、最近同じような問題が起きた。

 プーチンウクライナ侵攻を「特殊軍事作戦」と呼んだときには、「そういう意見もあっていい」と感じた。

 しかししばらくしてそのプーチンが「経済制裁は宣戦布告のようなもの」と言い始めたので、「それは流石に狡過ぎる」と感じたのである。

保守派の大半すらロシアの好戦主義を見抜けなかった日本(76年半ぶり2度目)

 最近発生したロシアのウクライナ侵攻を、何年も前から予測できていた者がいれば、何年も前から警鐘を鳴らすことで今現在一気に思想的影響力を強められたであろう。

 しかし「俺様は何年も前から警鐘を鳴らしていたぞ。その証拠がこれだ。今後はもっと俺様の主張に耳を傾けろよ!」という言説を見かけていない。私がまだ発見できていないだけでなく、本当に皆無だった可能性すらある。

 辛うじてそれに似た発言があるとすれば、せいぜい保守派の一部に見られる「私は以前から(一般論として)戦争に備えなければならないと言っていたではないか!」ぐらいのものである。

 しかしそういう保守派の大半は長年ロシアの脅威より中国の脅威ばかり説いてきたのであるから、説得力は上述の架空の発言に大きく劣る。それどころか彼らの長年の単純な中国脅威論が、日本人・日本政府・日本と関係の深い国々のロシアへの警戒心を相対的に弱めさせる一助になった疑いもある。

 思い起こせば日本人は以前もロシアの好戦主義を見抜けず大損をしたことがある。「ABCD包囲陣」だの「暴支膺懲」だの「鬼畜米英」だのといったスローガンを作って東・西・南と戦っていたら、突然日ソ中立条約を破棄されて北からの奇襲を受けたのである。

 この奇襲について「スターリンを批判するだけでは進歩がない。奇襲を受けた間抜けさ加減については自己批判をし、公正に外敵の脅威を評価する能力を身に着けて、次につなげなければならない」と私は十年以上前から警鐘を鳴らし続けてきたのであるが(参照→https://gureneko.hatenadiary.org/entry/20100728/1280315933https://gureneko.hatenadiary.org/entry/2021/02/05/064500)、文章が下手なせいかあまり影響力を持てなかった。その結果が、保守派の大半も含めた今この瞬間の日本人の「まさかロシアがウクライナにここまでやるとは思わなかった」という感想である。

 ちなみに「どの程度好戦的か?」だけでなく「どの程度民主的か?」についても、日本人は世界平均と比べて中国に厳しくロシアに甘いという傾向がある。それについても私は前に指摘した(参照→https://gureneko.hatenadiary.org/entry/2019/09/25/084717)。

 ロシアに妙な幻想を抱くというのは、日本の宿痾なのであろう。