「ランボーたち」の大半も、どうせ優秀な文官に感謝していない。

 「ベトナム戦争中は英雄だったのに、帰還したら待遇が悪かった」という主人公の憤懣を描いた『ランボー』という映画がある。

 こういうタイプの「元・乱世の英雄」は世界中の様々な時代の「戦後」に登場し、同情を集め続けている。『戦争は女の顔をしていない』や「天下統一後に粛清されていった武官」等である。

 しかしその人達自身のほうで「私風情がこのような高価な武器を扱わせて貰えるのは、立派な文官の皆様が平時から毎日汗水垂らして組織を運営し、今日にあっても補給に気を配って下さったからだ」と感謝しながら戦ったという記録を見た事は、殆ど無い。「蕭何を戦功第一と評価した劉邦」等の例外中の例外を稀に見る程度である。

 そういう意味では、「お互い様」である。

 だから私は「こういう元・乱世の英雄の不満分子が増えないように気を配るべきだ」という気分にはなるが、彼等に同情する事も殆ど無い。