「Xを叩いてYを放置するとは、このダブスタめ!」への、定跡よりも本質的な反論。

 「Xを叩いてYを擁護するとは、このダブスタめ!」という発言は、前半の前提部分さえ正しければ後半の結論部分も大概は正しい。だから私もよく使うし、またよく支持する。

 一方で「Xを叩いてYを放置するとは、このダブスタめ!」という発言は、攻撃対象が警察や検察の様な「平等に叩くのが義務である組織」であった場合等の特殊な例外を除けば、大概は無体な言い掛かりである。

 それが言い掛かりであった場合における反論としては、「Aさんは全ての悪を平等に攻撃するという義務を背負っている訳でもなく、またそんな時間も能力も持っていない。YがXより悪いと君が本当に思ったなら、君自身が勝手に動けばいいだろう」というのが、常識的で理性的な定跡である。この定跡的な論法は私もよく使うし、またよく支持する。

 しかしこの定跡なんかよりも、もっと本質的な反論を私は知っている。

 「トリプルスタンダードは世の中に溢れているのに、何故君はそれらを放置して、ダブルスタンダード風情への攻撃にかまけているんだい?」である。