『列子』湯問篇が示唆する理性の限界

 藤岡真氏のブログで唐沢俊一氏が『列子』について語っている文章が引用されていた(http://d.hatena.ne.jp/sfx76077/20091116/)。ここから孫引きしつつ、唐沢氏の『列子』理解の浅さを批判したいと思う。
 なお、各篇における章の分け方と番号とは小林勝人訳注『列子(上)』・『列子(下)』(岩波書店・1987)に拠った。
 まず「道家思想は儒教のアンチテーゼという性格を強く持っているので、」とある。特段の事情が無い限り、「道家」に並列させるべきなのは「儒教」ではなく「儒家」であろう。
 次に「孔子の一派のことなど、だいぶ悪く描かれていておもしろい。」とある。
 実は『列子』には孔子を悪く書いた話はほとんど無い。大概は列子本人と同じく道家的理念の伝道者や実践者として描かれている。稀に孔子より更に道家的理念を極めた人物に馬鹿にされる事もあるが、それは列子とて同じである。
 以下は、唐沢氏が引用していた湯問篇の第七章を除いた、『列子』の孔子が登場する章の紹介である。
天瑞篇
 第七章で隠者の栄啓期を誉める。第八章で隠者の林類をそこそこ評価する。第九章で弟子の子貢に死の偉大さを教える。
黄帝
 第六章の説話の意義を弟子の宰我に語る形で解説する。第八章で弟子の顔回道家的理念を教える。第九章で水泳の達人から道家的理念を学ぶ。第十章で道家的理念の体現者として尊敬した痀僂丈人から馬鹿にされる。第十二章で弟子の子夏からあらゆる物に同化して無傷でいられる超人として紹介される。第二十一章で恵盎からその教えを実行すれば全人類に好かれる思想家として墨子と並列して紹介される。
周穆王篇
 第八章で鄭の国相から夢と現実とを識別出来た唯二人の人物の内の一人として黄帝と並列して紹介される。第九章で子貢が聞いてきた話を顔回に記録させる。
仲尼篇
 第一章で顔回を教育。第二章で老子の弟子の亢倉子と比較される(優劣は不明)。第三章で商の太宰に道家的な理想の統治者を語る。第四章で子夏を教育。
楊朱篇
 第十二章で楊朱から自身は生きていても何の楽しみも無かった四人の聖人達の一人として否定的に紹介される。
說符篇
 第十一章は黄帝篇の第九章とほぼ同じ話。第十二章で楚の白公を諌める。第十三章前半では趙襄子を誉め、後半では強力の人物として語られる。第十四章では天才的な予言者として活躍する。
 唐沢氏の引く、孔子が太陽への距離について争う二人の子供に出会ったという湯問篇の話も、まずこうした傾向を把握した上で解釈しなければならないのである。
 また『列子』に収録された話の趣旨を解釈する際には、同じ篇の他の話を特に注意して読んでおく事が必要である。『列子』は篇によって性格がやや異なり、同じ篇の話は同じ趣旨を背景にしている確率が相対的に高いのである。
 第一章では、殷の湯王が時間や空間といった問題について夏革に質問している。夏革は無理に答えを与える場合もあるのだが、原則的には「不知」と返している。
 第四章では、聖人だけが自然の真理である「道」に通じる事が出来るという禹王に対し、夏革が聖人ですら道には通じる事が出来ないと反論している。
 第十七章では、現実に存在するという設定の物品を架空の存在と決め付けた周の皇子が批判されている。
 してみると第五章で嘲笑の対象であったのは、理性の限界を知らずに独断論に陥っていた二人の子供である可能性が非常に高い。
 更に解釈の際にもう一つ手がかりになるのが、『列子』に登場する類似の構造の話である。
 天瑞篇には、「杞憂」という故事成語で有名な話がある。杞の国の人で、天地が崩壊しないかと心配している人がいた。これに対し、ある人が天地は決して崩壊しないと決め付けて説得し、また長廬子という人物が天地は必ず崩壊すると決め付けて笑ったのである。そして最後に列子が登場し、判りもしない事を決め付けた二人を笑うのである。
 もしも太陽への距離を決め付けた子供の方が判断を保留した孔子より偉いとしてしまうと、この話における列子の態度も否定しなければならなくなってしまう。
 そしてそもそも、孔子の自分は農業の知識について老いた農民に劣るという言を堂々と伝えている儒家に対し(『論語子路篇)、孔子が太陽への距離を把握出来なかっただの何だのと言っても有効な攻撃にはならないという事を、知っておく必要がある。この話は元々は「知之為知之 不知為不知 是知也」(『論語』為政篇)で有名な儒家の伝承だった可能性すらあるだろう。
 以上により、他の話の意義を壊す拙劣な攻撃が混入した可能性もゼロとまでは言えないが、流石に「どう考えても、孔子をバカに描くためだけに採録したとしか思えない。」と言い切ってしまうのは、己の考えの足りなさの証明にしかならないだろう。
 唐沢氏は「教訓もなければ哲学的でもないが、」と続けたらしいが、理性の限界を考察するというのは相当哲学的な営みであると思う。

列子 上 (岩波文庫 青 209-1)

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列子 (下) (岩波文庫)

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論語 (岩波文庫 青202-1)

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