メリットは何ですか?

梁恵王「遠路遥々ようこそ。利益をもたらす政治思想を教えに来てくれたのですか?」
孟子「どうして『利』と言ってしまうのですか?王が利益を追求していたら、重臣である大夫もそれを真似、陪臣である士や果ては民衆までもがそれを真似るでしょう。古来より利益を目当てに王を殺すのは大夫、大夫を殺すのは士と決まっています。これからは『利』ではなく『仁義』と言いなさい。」

 これが『孟子』の最初の話である。
 これを読んだ人の中には、単に孟子の頭の固さを笑い、「彼は戦国の世に求められている思想を展開出来なかった。」だの「『剥き出しの功利主義を秘伝にすれば下克上を防げる。』と言えば良かったのに。」だのと言う人もいる。
 実際そうした批判や助言が当て嵌まる様な状況だった可能性もある。
 諸子百家の古典の多くは状況説明をしない。例えば『論語』も、孔子に都合の良い設定ばかり想定すれば彼を聖人として描けるし、都合の悪い設定ばかり想定すれば浅野祐一著『孔子神話』(岩波書店・1997)が出来上がる。
 しかしながら、私は別の状況の可能性が高いと思っている。大夫を殺すのは士だという、王には直接的にはどうでもいい事まで話しているからだ。
 以下は私の想定する孟子である。
 本当は「剥き出しの功利主義を秘伝にすれば下克上を防げる。」と言いたい。しかし大夫達が横で聞いている状況で王にそう進言すれば、そもそも秘伝にも何もならない。王に一定以上の知能がある事に期待して賭けてみよう、なあに失敗しても次は斉王がいる。
 お、洗脳された振りをしてくれたぞ。結構賢いな。あ、一部の奸臣も秘伝を見抜きやがった。ようし、ならば大夫も謀反の被害者になる事を思い出させてやれ。ふふふ。

 江戸幕府は天下の299/300を帰伏させつつも、なお日本朝廷に臣下として仕えていたという。事実上の日本の支配者が貧乏公家出身の勅使の機嫌を取るのは不愉快だったかもしれない。だが勅使に「朝廷ではなく外様大名を怖れてこうするのです。」と言ってから頭を下げたりしては、頭を下げる事の効果も薄れてしまうのである。
日本国王が山城天皇に頭を下げるメリットは何ですか?」
「空気読め、馬鹿。」

孟子〈上〉 (岩波文庫)

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論語 (岩波文庫 青202-1)

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孔子神話―宗教としての儒教の形成

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