鈴木孝夫著『日本語教のすすめ』(新潮社・2009)

日本語教のすすめ (新潮新書)

日本語教のすすめ (新潮新書)

評価 知識2 論理2 品性2 文章力2 独創性2 個人的共感2
 私が購入した第二刷に付されていた帯には、「日本語は世界に冠たる大言語である。」とあり、期待を誘われた。しかし実際に本文を読んでみると、「大言語」の定義は基本的に使用者数に基づいており、14ページでは日本語は「上位十番前後」だの「世界の大大言語の一つ」だのと位置付けられている。カバー折り返し部分の紹介文でも「日本語は世界に誇る大言語なのだ。」と帯よりは抑制された記述になっている。新潮社の社員は「大言語」だけに「大言壮語」したくなったのかもしれない。
 本文の内、日本語教を強くすすめているのは第一・五章であり、他は言語関連の冗長な雑談といった色彩が強い。
 雑談の中には確かに物珍しい話も有るのだが、今では随分広く知られている事までさも大発見であるかの様に大袈裟に語っているので興を醒まされる。特に印象に残ったのが95ページで、文化によっては蝶と蛾の区別をしない事に関して、「ただ重要なことは日本人のようにこの二つを区別するタイプの言語を母語に持った人々は、両者を同じものと見る言語があるなど夢にも考えたことがないということで、この事実を知らされたときはまさか、そんな馬鹿なことがあるかといった驚きと不審の感情を隠せないのが普通です。」と語っている。私はこの記述に対してこそ不審の感情を隠せない。
 主張の中には共感出来たものも幾つか在った。特に142ページの、日本語を母語としない人の使用も想定した日本語辞書を作れという主張には大賛成である。
 以下、個別の問題点を指摘する。
 13ページ、「更にはまるで隠れキリシタンのように、外部の人には知られないように密かにある集団内部だけで長い間用いられてきた言語が、新たに発見されることもトルコなどで起こっています。」とある。「隠れキリシタン」は信仰ではなく信徒を指す単語なので、「長い間用いられてきた言語」を比喩的に説明するなら「隠れキリシタンの信仰」とでもすべきであった。
 15ページから「日本語放棄論の系譜」の解説が始まるのだが、結局意見が採用されなかった森有礼志賀直哉尾崎行雄の三人の言説を紹介して、18ページでは「国を代表する立場にある文部大臣、国民的大文豪、そして大政治家などが口を揃えて、」とあたかも彼等が多数派であったかの様に書き、日本人の多くが彼等の提案を採用しなかったというのに19ページでは「日本人とはなんとも世界に例のない不思議な民族だという他はないでしょう。」と書いているのである。
 17ページで著者の空想の中の「日本人」に対比する形で誉めた対象の筆頭がロシアのツルゲーネフだったのも皮肉である。近代化の際の上流階級の外国語かぶれについては、日本よりロシアの方が甚だしいであろう。
 19ページからは「西欧至上主義からの解放」とやらが唱えられている。ところが39ページでは「新大陸」という言葉が平気で使われているのである。まるで岸田秀である。私は反西洋至上主義を傾聴に値する見解だと思っているのだが、だからこそこういうグロテスクな紛い物を強く憎んでもいる。
 51ページ、「よく知られているように日本語では音節を子音で終わることができません。」とある。「できません。」を音節で区切り、最後の一音節を母音で終えてくれたら、私も日本語教とやらへの入信を真剣に考え始めるかもしれない。
 同ページでは「ストレングスス」が日本語では七音節だともしている。だが普通に区切ると「su・to・ren・gu・su・su」で六音節にしかならない。
 著者には日本語の「ん」を「母音で終わる一音節」と定義する何らかの深遠な根拠が有ったのかもしれないが、仮にそうであった場合は、その根拠を示さずに話を進めたという事になり、単なる勘違いよりも一層罪深いと言える。
 217ページ、「日本の場合、国として初めての正式な国際関係である第一回遣隋使派遣(西暦六〇〇年)から、なんと約千三百年後の日清戦争(一八九四〜九五年)に至るまでの長い間、外国と戦争状態にあったのは僅か三回だけという事実です。」とある。「国として初めての正式な国際関係」の基準は不明である。『宋書』等に見る倭の五王の外交の中には明らかに第一回遣隋使より密接な関係を築いたものもあり、また対等が強調された有名な国書を持参したのは第二回遣隋使である。そして第一回遣隋使は『日本書紀』にも記載されていない。
 因みに著者が2001年にPHP新書から出した『英語はいらない!?』の53ページでは、「七世紀に始まる遣隋使」という記述がしっかりと存在している。何かしらの新知識を得て見解を翻したのだろうか?それとも西暦600年は七世紀に属するとでも思い込んでいるのだろうか?
 なお「僅か三回」の戦争状態の内訳は、「白村江の戦い」が一回で、「朝鮮征伐」が二回との事である。元寇を知らないという訳ではないらしく、後述する様に同ページ後半では元寇を「武力攻撃」に分類している。これも、どこまでが武力攻撃でどこからが戦争なのかの基準が不明である。
 これまた、著者が2006年に新潮選書から出した『日本人はなぜ日本を愛せないのか』の128ページでは、「白村江の戦」と「朝鮮侵略」の合計が「たったの二度」であった。数え方が変化した理由は謎である。
 同ページ、「この間日本が外国からの武力攻撃を受けたことも、鎌倉時代に起きた二度の元寇だけだという驚くべき事実です。」とある。刀伊の入寇応永の外寇を知らないのか、それとも戦争でも武力攻撃でもない第三のカテゴリーを用意しているのかは、謎である。
 231ページ、欧米で日本語熱が高まらない理由として、「そのうえ欧米諸国はつい半世紀前の戦争で日本には勝ったものの、戦後になって殆どの国が虎の子だった植民地を日本が余計なことをしたために、すっかり手放さざるをえなかったという腹立たしい記憶があるため、」と書いている。しかし日本のせいで植民地をほぼ全て手放したのは、「殆どの国」ではなく、せいぜいオランダぐらいのものであろう。アメリカ領フィリピンの独立は戦前に決定されていたものである。他のヨーロッパ諸国は、アフリカ等にも相対的に広大な植民地を持っていたり、あるいはそもそも東アジアに植民地をほとんどまたは全く持っていなかったりといった国々ばかりである。
 普段の私は自分の専門以外の分野に疎い学者に一定の理解を示している。ある意味で一種の職業病とさえ言えるので、侮蔑しようとしてもどうしてもそこに僅かな畏敬の念が混入してしまうのだ。しかし著者の場合は、102ページで「このように狭い特定の専門一筋の純粋な言語学者ではなく、一体なにが専門だか分からないような雑学実学の世界を動き回った実績を持つ私だからこそ、」と誇っているので、雑学を売りにしていながら実は無教養であった唐沢俊一同様、全く同情の余地の無い特殊例であると言える。