鈴木孝夫著『英語はいらない!?』(PHP研究所・2001)

英語はいらない!? (PHP新書)

英語はいらない!? (PHP新書)

評価 知識1 論理1 品性1 文章力1 独創性1 個人的共感1
 同じ事を何度も繰り返し主張している書籍である。よって様々な媒体で独立して発表した複数の文章を一冊に纏めたものなのだろうと読書中は想像していたのだが、「あとがき」まで読み終えてどうやら書き下ろしらしいと判明したので、驚いた。しかもこのあとがきには「紙幅が限られている」という記述があったので、二度驚いた。
 本書の特徴の一つは、新書にしては珍しく各章末に出典とも言うべき書籍群が列挙されている事である。ただし、その三分の二が著者自身の著作である一方、197ページの「かつて駐日大使だったライシャワーがちゃんと本に書いています。」という記述に登場する「本」とやらの名称が不明のままで終わっているので、どちらかというと自分の著作の宣伝の意味合いが強い。
 「はじめに」には、「つまりこの本の題は、イングリッシュはいらないが、イングリックならば必要だという意味なのです。」と書かれている。イングリックとは「English-like language」の事らしい。
 本の前半は欧米への誹謗や著者の脳内にしか存在しない様な日本の欧米崇拝者批判で埋め尽くされているため、「第五章 新国際語・イングリック入門」には101ページまで読み進めて漸く出会える。
 104ページの「三単現のsもいらない」では、三単現のsを付けなかったりgoの過去形をgoedにして間違いを指摘された時のかわし方が掲載されている。少々長いが引用してみる。
「ちょっと待ってください。私の喋っているのは英語のようでありながら、実は英語ではないのです。これはイングリック(English-like language)と言って、英語ではないけれども英語に非常に似た、私たちの作った新しい人工言語です。しかし単語をすべて新しいものにするのも面倒だし、第一すべて全く新しい単語を使うのだったら、あなたに分からなくなってしまう。それでは意味がない。だから英語の単語をどんどん借りて使う。(原文改行)けれども必ずしも意味がすべて同じとは限りません。文法もあなた方英米人自身が不規則動詞だの何だので困っているでしょう。そういうところは整理しました。動詞の過去はみんな-edです。だからI wentでなくgoed。名詞の複数はすべて-(e)sだけです。childの複数はchilds。私の言語ではこれが正しい文法です。」
 まず不思議な事に、これだけ長い弁明だというのに、見出しにまでなっていた三単現に関する話題が一切登場していない。実際三単現は不規則なものではないし、childの複数がchildsになった暁には却って重宝しそうだとすら言える。
 そしてこれだけ堂々と主張する訓練をする暇が有れば、動詞の主な不規則活用は全て覚えてしまえそうである。しかもこの論法が完全に受け入れられると仮定しても、英米人の発言を聞いたり著作を読んだりする際には結局は不規則活用の知識が必要となるので、却って二度手間になりそうである。
 また著者はイギリス・アメリカの英語の発音がほとんど一枚岩のものだと思っているらしく、107ページでは、日本の英語関係者が「イギリス、アメリカの英語そのもの」を日本人が身につけるべきだと主張していると言い張り、この著者の脳内にいる日本の英語関係者の主張を批判する文でも「と言うのもイギリスやアメリカの人は生まれたままの自分を少しも変えることなく、努力なしに国際交渉ができるわけですから。」と書いている。
 このため、108ページの発音については少しぐらいは我慢してもらうという主張の根拠を、オーストラリア英語に頼らざるを得なくなっている。イングランド国内における発音の多様性から同じ主張を導き出している論者達と比べ、説得力が数段劣っている。
 付け加えて、言語は専ら生後に学ぶものであるから、この文脈で「生まれたままの自分を少しも変えることなく」という表現は相応しくない。
 以下、個別の問題点も指摘していく。
 まず30ページでは、現代の歴史学歴史教育の内容を調べもせず、若き日に自分が習ったらしい欧米中心主義的な歴史観が今でも続いていると勝手に決め込んでいる。そしてその妄想に基づき、一般的な日本人を欧米中心主義にいつの間にか同調しているとして、偉そうに批判している。前述のライシャワーの著作と同じく題名も出版年も不明な「日本の歴史の本」では、コロンブスが「いまだに最初にアメリカを発見した人とされている。」との事である。
 それでいて著者本人は、「サラセン帝国(28ページ)」だの「新大陸(48ページ)」だのという欧米中心主義的な言葉を平気で使っているのである。
 48ページでは、アメリカ大陸を侵略したスペイン人として、コロンブスピサロと共に「コステロ」なる人物が登場している。これはおそらく「コルテス」の誤記であろう。
 50ページでは大英帝国を評して、「地球を覆うユニオンジャックの旗の下では太陽は沈まないという、人類始まって以来の大帝国になった」としている。なお人類始まって以来にして大英帝国成立以前の「太陽の沈まない国」としては、ハプスブルク朝スペインが挙げられる。
 57ページでは、「外国というのはろくなところじゃないよ、外国人というのは下手をすると、とんでもないことをしかねないよという、警戒心というか不信感……石原都知事第三国人発言とか自衛隊発動とかいうのは、まさに私と同じ考えです。」とある。第三国人発言が不法入国者だけを脅威の対象としている事を知らずに外国人一般を差別したものだと誤解して批判した文章や、そうした事情を知って発言を擁護する文章は、それぞれ数多いが、誤解したまま賛同する文章には初めて接した。こんな三流右翼紛いに差別された外国人も擁護(?)された都知事も、それぞれ気の毒である。
 今私が著者を「三流右翼紛い」と評したのは、著者が三流右翼にも劣るからである。著者を三流右翼扱いしては、まともな三流右翼に失礼である。
 その証拠に、62ページでは「だいたい王様というのは女好きか守銭奴か、とにかく普通の人ではなれない。」と、今度は三流左翼風の論法で王を差別している。
 著者は三流右翼と三流左翼の欠点を兼ね備えた稀有な愚者である。
 この62ページでは、8行目にも14行目にも「トマス・モアという」という記述が登場する。同一人物の二度目以降の登場の際に、その人名に「という」と付けると相当違和感がある。
 64ページでは、日本を「千数百年の長きにわたって、まがりなりにも一つの血統の支配者(天皇家)の下で現在に至っている国」としている。実権を持てなかった天皇でも「元首」や「君主」と呼ぶ事は可能だが、流石に「支配者」と呼ぶのは無理がある。
 65ページでは、大英博物館ルーブル美術館を「全世界を何百年と支配した結果」としている。だが英仏が全世界に植民地を拡げて覇を競い合うのは十九世紀になってからの話である。
 66ページ4行目では、「本当はアメリカほど、よく調べてみると悪い国はありませんよ。」とある。「A程、Xなものは無い。」という表現は、同格の存在を許さないのであるから、普通は単独の首位を意味する。ところが同ページ5行目では「フランスも負けずにひどいのです。」としている。そして7行目では「イギリスもロシアもどこも似たようなものです。」としている。
 155ページには「最初はいま言いました起源七世紀に始まる隋・唐が目標です。」という文がある。「起源七世紀に始まる」が「隋・唐」にかかっているとすれば、隋の建国の年を間違えている事になる。だがそれ以外の言葉にかかっているとすれば、文法的におかしい。ひょっとしてこれも、「ジャップリック(Japanese-like language)と言って、日本語ではないけれども日本語に非常に似た、著者の作った新しい人工言語」なのだろうか?
 158ページ、「欧米諸国はお互いにしょっちゅう戦争していながらも、いざ東洋の日本との戦いということになると、向こうは同じ西洋だ、キリスト教だという親戚の強みで一致団結して連合国となる。」とある。いつの経済摩擦の比喩だろうと思って読み進めると、なんと植民地や権益の獲得戦争についての叙述であった。だが二度の世界大戦で欧米諸国が一丸となって日本に立ち向かったという話は聞いた事が無い。