私が多大な影響を受けた本(2)――『美味しんぼ第8巻』(小学館・1986)

美味しんぼ (8) (ビッグコミックス)

美味しんぼ (8) (ビッグコミックス)

 前回(http://d.hatena.ne.jp/gureneko/20081110/1226254139)の『読書家の新技術』(朝日新聞社・1987)からの影響は、自分が積極的に著者の手法を模倣する事で受けたものである。対して今回紹介する本は、最近になってその強い影響に気付いたものである。
 気付いた切っ掛けは、「姫津の図書館」の2008年9月14日の記事(http://d.hatena.ne.jp/Himez/20080914/1221417353)に書いたコメントである。
 この巻には、「スープと麺」という話が収録されている。主人公は最初は既存の冷やし中華を散々批判するのだが、だからこそその欠点さえ無くせば美味しくなるかもしれないと途中で気付く、という内容である。
 私は、ある対象Xが気に食わない時、その全体を潰そうとするより、諸々の問題点を個別に指摘して改善を呼び掛ける場合の方が多い。
 なお、改善が行われた結果、対象が改善前と相当の同一性を保持してXと呼ばれ続けるか、それともYと呼ぶ方が判り易い程に変質しているかは、改善後に生じる可能性のある別個の問題である。
 ここからは前回の繰り返しが含まれるが、私は「偏った」立場を潰そうとは思っていない。個々人の経験が異なるからには、趣味嗜好が異なって当然である。偏った立場の人間とは、得難い人生経験をしてきた貴重な少数派である。
 例えば私には、性犯罪者に家族・友人を殺された経験も改心した元性犯罪者の家族・友人を持った経験も無い。だからミーガン法についての賛否の論陣を張る気力が弱い。よって自分は自分の経験から生み出される気力の方向にある作業に集中して、性犯罪者問題については熱意ある排斥論者・擁護論者の双方が集めた資料と捻り出した論法とに基いて自分の態度を決めたいのである。そして一方が余りにもだらしない時は、「論外」の烙印を押すのではなく、助言を与えようと努力する(参照→http://d.hatena.ne.jp/gureneko/20080526/1211752540)。
 三流右翼や三流左翼の著作を批判する時も、彼等のファンが三流の中道に転向する事を願っている訳ではない。二流右翼や二流左翼のファンへと進化して欲しくて批判しているのである。
 そして世の中全体が賢くなれば、自然に私の師が増え、師の説を知る機会も増えるだろう。