鈴木孝夫著『日本人はなぜ日本を愛せないのか』(新潮社・2006)

日本人はなぜ日本を愛せないのか (新潮選書)

日本人はなぜ日本を愛せないのか (新潮選書)

評価 知識1 論理2 品性2 文章力3 独創性2 個人的共感1
 37ページでは、戦後の日本人が「支那」という言葉を使わなくなった事を批判している。そして「古代中国」という言い方を特に批判している。ところが著者自身は、30・32ページで普通に「古代中国」という言葉を使用していたのである。
 本書は編集部の質問に語り口調で答えるという体裁を採っているので、当初私はこの程度の事を指摘するのは大人気無いと思っていた。しかし50ページで「(K・K・Kなどについては六十二頁参照)」という記述を見つけ、加筆・修正の機会が有った事を知り、指摘に踏み切った。
 53ページ、「同じ発想は「万里の長城」に最も強く現れていますが、このように自分たちの支配地域を、嫌いだがどうにもならない、滅ぼしたいが滅ぼせない「憎き奴ら」から守る目的で、隔離壁を築くことは「ベルリンの壁」でも繰り返されましたね。」とある。だが東ドイツ政府がベルリンの壁を築いたのは、西ベルリン市から大軍が攻めてくるのを必死で阻止するためではなく、住民の流出を防ぐためであった。
 55ページ、「私などはかつてキリストが、不倫の罪を犯したマグダラのマリアを責めて、投石の罰で殺そうといきり立つ人々に向かって、」という記述が登場する。『ヨハネによる福音書』の一場面の積もりなのだろうが、この姦通の女こそ実はマグダラのマリアであったとする証拠は聖書のどこにも無い。しかもヨハネによる福音書は、律法学者とファリサイ派の人々がこの女を連れてきたのはキリストを訴える口実を得るためであったとしている。そういう狡猾な企みを実行中の人達が「いきり立」っていたとは、私には思えない。
 58ページ、「日本は異民族との戦争が古代からほとんどなかったためか、正式に認められた合法的な社会制度としての奴隷制を、千五百年近い歴史の中で、一度ももったことのない、世界でも数少ない国なのです。」とある。歴史を「千五百年近い」昔で区切ったのは、小利口にも弥生時代の奴隷については知っていたからなのであろう。だが残念ながら律令時代にも「公奴婢」や「私奴婢」が存在した事までは知らなかったようだ。
 62ページ、西武開拓時代のアメリカのリンチを紹介した後で、「これに比べると日本では、何の権限ももたない、また法律の専門知識もないごく普通の人々が集まって、自分たちだけの判断で、法の裁きを待たずに犯人を殺すことには、ためらいを感じる人が多いのではないでしょうか」としている。だが日本でも惣村の自検断では死刑がしばしば執行されていた。
 64ページでは、欧米のボイコットが特定の相手を追い詰める徹底的なものであるのに対して、日本のボイコットと称せられる抗議運動がそこまで強烈ではない事を語り、65ページでは「このボイコットという行動を支えるものも、物事の善悪、善し悪しを決めるのは自分だという強い自己中心的な心の仕組みがあるからだと言えます。」としている。これについても村八分等の反証が挙げられよう。
 66ページでは「神に代わって自分が正義を行う」という精神構造が日本人には薄く欧米人には顕著に見られる証拠として『そして誰もいなくなった』を例に出し、67ページで「法律で罰することができないのならば、自分の手で正義を行うしかない(to take the law into my hands)と心に決め、退職後にそれをこのような形で実行するという話です。(原文改行)この小説が果して実際に起った事件からヒントを得たものか、それとも全くクリスティの創作なのかは分かりませんが、とにかくこのような発想は普通の日本人には考えもつかない、現実味を欠くものではないでしょうか。」と語っている。法で裁けない悪を自分の信念に基いて制裁する日本の作品としては、時代劇『闇を斬る!大江戸犯科帳』等が挙げられる。更には現実の日本社会においても、藤原頼長が赦免された殺人犯を暗殺して自らの日記である『台記』でそれを誇った事は有名である。
 114ページには「それとも言うのも仏教という特定の宗教の墓地の中に、神道どころかキリスト教のお墓までが、ここに掲げた写真にあるように、いくつも混在していることに興味を持ったからです。」とある。「ここに掲げた写真」とは、115ページの「東京の青山墓地」の写真である。だが青山霊園は公営なので「仏教という特定の宗教の墓地」ではないし、しかもそもそも最初は神葬祭の墓地として始まった墓地である。
 118ページでは「私の見る限り、確かに初期のキリスト教には、「愛の宗教」を目指す色々な動きがありました。それがローマの国教となったあたりから、このような考えはむしろ異端として次々に退けられ(たとえばグノーシス派の追放など)、段々とローマ帝国の侵略的国土拡張主義を支持する、護教的な性格を強めていったように思えるのです。」とある。キリスト教がローマの国教となった頃にはローマの国土拡大は止まっていたし、仮に国土拡張主義を支持したとしても、それがどうして護教的な性格だという評価になるのかは疑問である。あるいは「鎮護国家の宗教」を略すると「護教」になるとでも思い込んだのかもしれない。
 因みに、このページではキリスト教の「普遍性」に懐疑的な立場であった著者だが、145ページではキリスト教の普遍性を認めてそれに屈したらしく、「西暦六〇〇年」や「基督紀元六〇〇年」ではなく、「紀元六〇〇年」という表記をしている。
 119ページ、神仏習合風の日本の伝統的信仰は、旧約聖書風の「復讐・憎悪・妬みなどの性質とは結びつきにくいもの」とのことである。山の神が女性を妬むという日本の民間信仰を知らないのだろうか?
 139ページ、フランス語の「Vous avez raison」を、まずは「あなた(の言うこと)は正しい」と訳した上で、文字通りの意味は「あなたは理屈を持っている」だとして、日本語の「君、それは理屈だよ」という言葉の印象と対比して比較文化論の真似事をしている。しかし、日本語の「君」はフランス語の“vous”よりも“tu”に近いので、これは卑怯な対比である。“raison”を「理屈」と訳したのも、結論先にありきの翻訳と言える。同じ会話表現も、「貴方に道理がある」と訳せば、日本語でもプラスの意味を持つであろう。
 142ページ、中国政府は「「日本軍が南京で五十万も虐殺した」と何時までも騒」いでいるらしい。それが本当なら、外壁で堂々と犠牲者数を300000だと主張している侵華日軍南京大屠殺遇難同胞紀念館は、少なくとも相対的には日本に有利な学説を掲げて独裁政権の弾圧に必死に抗している、学問の自由・民主化親日の砦という事になるが、著者はそれで構わないのだろうか?
 143ページには、「自国の名誉が傷つけられた場合の、それに対する反応がイスラエルと日本で、こんなに違う」という記述がある。この記述を導く事例として『マルコポーロ』の廃刊に関する話も登場しているのだが、これに関しては何故かイスラエル大使館からの抗議については一切語らず、「ユダヤ人」が「全世界で日本製品のボイコット運動を起こすと迫った」という話だけを語っている。仮にその話が本当だとしても、ユダヤ人が皆イスラエル国籍でイスラエル政府の指示を受けて行動している訳ではないのだから、ユダヤ人の反応を根拠にイスラエルの反応を語るのはおかしい。
 私が思うに、堂々と駄本を乱造し続ける蒙昧な老人が一人減れば、その分だけ日本国は日本人に愛され易い清く正しく美しい国になるだろう。