各宗教のターゲットが国ごとに違う事を認識すべき

 少し前の韓国で、仏教の僧が賭博をしたとして大問題になったらしい。私は当初、その程度の事を問題視していたら日本の仏教界なんか瞬時に壊滅してしまうだろうと思い、やや引け目を感じたものである。
 後述する事になるが、この「引け目」は端的に言って間違いであった。今では大いに反省している。本稿は、私と同じ間違いをする人を少しでも減らすために書かれたものである。
 さて、韓国の仏教が日本より総じて真面目であるのは事実だが、一方で韓国発のキリスト教系宗教に、霊感商法・マインドコントロール・ダミーサークル・高位聖職者の性的堕落・強制結婚・募金詐欺等、悪を極めたものが多い事は有名である。普段は嫌韓流の人々をたしなめる傾向にある左派の人々も、こればっかりは強烈に批判をしている。陣営の垣根を越えた共通了解であると言えよう。
 そして最近私は、オウム真理教の諸悪事をNHKの特集で知った韓国からの留学生に、「あんなに悪事をしたかったのならキリスト教等を名乗れば良かったのに、何故麻原は敢えて仏教を名乗ったのか?」という意味の質問をされた。この瞬間に気付いたのが、本日の記事の題名に掲げた真理である。
 日本では仏教徒がマジョリティであるから、余り深く心を磨く積もりの無い者は、適当に仏教徒であろうとする。手っ取り早く金を集めたい悪徳教祖も、第一には入信の敷居を下げるために、第二には自分が余り勉強せずに済ませられるために、仏教風の教義を掲げる事が多いのだろう。勿論真面目な日本の仏教徒も多いし、その数は絶対数だけで見れば日本のキリスト教徒のそれを上回っている可能性も高い。だが平均値で見ると、どうしても清さにおいてキリスト教に劣っているという印象が強い。
 そしてキリスト教徒がマジョリティである韓国では、物凄く大雑把に言うと両教の立場がおそらく日本と逆なのであろう。
 各宗教の置かれた状況は国ごとに違うのであるから、その内の一教だけを取り出して比較して、日本の方が優れていると誇ったり、日本の方が劣っていると卑下するのは、愚かな事であると言えよう。