「X学史」ではなく、「X学と史学」

 本日は、安藤洋美著『確率論の黎明』(現代数学社・2007)という本を読んで考えさせられた事を、同書の紹介を兼ねて語ってみたい。
 私は同書を、一応は「良書」の部類に入ると評価した。
 まず、確率論史の本はルネサンス以降の歴史のみを描いたものが多いのに対し、同書は全体の半分を割いて、それ以前における確率論の萌芽的要素を備えた話題を、西洋に偏る事なく紹介している。確率論の歴史は賭けと占いの歴史でもあり、賭けと占いの歴史は人類にとって普遍的なものであるのだから、私はこの構成を非常に高く評価した。
 また、平明な文体と数式を用いて解り易く書かれている点や、大量の図と絵が利用されている点も、気に入った。
 その一方、著者の専門が理系であるが故の問題点も数多く、それが非常に残念だった。
 まず気になったのは、12ページの、「インド=アーリア人はB.C.2000年頃までにイラン系アーリア人と分離してインドに侵入し,B.C.2500年頃から栄えていたインダス文明を破壊したものと思われる.」という記述である。
 16・17ページにこの章の参考文献が列挙されているが、その中にインド史を専門に扱ったものはないので、確率論の古い論文にあった付随的な情報を転載してしまったのだろう。あるいは大昔に自分が習った古い学説を記憶を頼りに書いたのかもしれない。
 実際には、アーリヤ人インダス文明を破壊したという説は、既に通説としての立場を失っているのである。山下博司著『ヒンドゥー教とインド社会』(山川出版社・1997)には、「ただし、『リグ・ヴェーダ』で示唆されているとされたアーリヤ人によるインダス諸都市の破壊や殺戮は、今や説得力に乏しい。彼らの侵入の時代(前一五〇〇年頃)と都市文明の衰退期(前一八〇〇年頃)とが、かならずしも符合しないからである。」とある。
 著者は史学を専門に習っていなかったため、史学の最新の成果を確認する必要性を知らなかったのであろう。
 91ページでもムハンマドを「マホメット」と表記しており、こういった点でも酷く時代遅れである。
 続いて25ページ。ここでは、中世キリスト教世界で籤引きが野蛮・不敬な行為として認識された原因は、イエスの処刑に際して行われた籤引きにあるという説が、語られている。
 それ自体は面白かったのだが、引用元を「『マタイ福音書』27章35―36;『マルコ福音書』15章24」として、「彼[イエス]を十字架につけてから,彼ら[ローマ兵たち]は籤をひいてイエスの着物を分け,そこに座って見張っていた」という文が書かれていたのが気になった。
 ではまずは実際に、『マタイによる福音書』の該当部分を見てみよう。
“σταυρωσαντες; δε αυτον διεμερισαντο τα ιματια αυτου βαλλοντες; κληρον,
και καθημενοι ετηρουν αυτον εκει.”
 最初の“αυτον”の訳が「彼[イエス]を」となっているのは、直訳を目指しつつも意訳の長所をも取り入れたものとして評価出来る。しかし、それでいて次の“αυτου”が「彼の」ではなく「イエスの」となっているのは奇妙である。むしろ二度目以降こそ、文脈で「彼」が何者か類推し易いのだから、態々「彼の」を「イエスの」と変える必要は無いだろう。
 ただこれについては、著者が参考にした和文献のせいである可能性が高いので、深く追求する程の問題ではない。
 では次に、『マルコによる福音書』の該当部分を見てみよう。
“και σταυρουσιν αυτον και διαμεριζονται τα ιματια αυτου, βαλλοντες; κληρον επ αυτα τις; τι αρη. ”
 ローマ兵達がイエスを十字架につけた事と、籤でイエスの着物を分けた事は書かれているが、座っただの見張っただのという記述はここには存在しない。
 おそらく著者は、四福音書が同じ話題を描く際に互いに異なる記述がなされる場合が多い事を知らなかったのであろう。そして、マタイによる福音書の該当部分の和訳のみを書き写し、同じ話題がマルコによる福音書にもある事を知るも実際に確認はせず、マタイ・マルコの両方を引用元として並列的に記載してしまったのだと思われる。
 引用元である和訳にも当たってみたかったのだが、29ページに紹介されている参考文献リストにある引用元の聖書は、「日本聖書協会の「『聖書』(口語訳)(1955年改訳)」となっていた。なお、二重鍵括弧の直前にある鍵括弧は原文のままである。
 著者は偶然手元にあった古い聖書でも使ったのだろうが、こういう場合は手数でもなるべく新しい翻訳を使用するべきである。
 それにしても、これだけ古いと確認は難しい。日本聖書協会のサイトの聖書本文検索(http://www.bible.or.jp/vers_search/vers_search.cgi)のマタイ27章35節の口語訳も確認したが、既に「彼らはイエスを十字架につけてから、くじを引いて、その着物を分け、」という別物になっていた。
 次に78ページの図6.2の問題点を写真も使い紹介する。

 これは中国の文物である『易経』の八卦を日本語で紹介する図表であるというのに、「読み方」は、ウムラウト記号の付いた“o”の存在から判る通り、国際音声記号でもピンインでも日本語のローマ字表記でもない。
 おそらく何も考えずにドイツ語辺りの文献の記述を丸写ししたのであろう。
 他の欠点として、文章が日本語としておかしい箇所を幾つか見つけたのだが、それは本稿の本題ではないので割愛する。
 以上に紹介した欠点が、どれも一般に文系に分類される諸学に酷く疎い人物が犯し易い過誤の典型である事については、特に異論は無いと思われる。
 以前、これに似た体験を、小川鼎三著『医学の歴史』(中央公論社・1964)でもした。これは、前掲安藤書と同じく、医学の歴史を西洋に偏らずに平易な文体で紹介した良書ではあったのだが、やはり史学を専門に学んでいない人物特有の欠点が見られたのである。
 例えば、170ページ8行目で大政奉還がなされると、同ページ10行目では、この時点でもう幕府という組織の存続を認めずに「その翌年四月十一日の東征大総督の入城までは、江戸はなお旧幕府の勢力下にあったわけで、」と書いている。それでいて同ページ12行目では、奥羽越列藩同盟を幕府と見做して「江戸開城のとき良順は、二、三の門人をつれて江戸を逃れて会津にいたり幕軍に投じた。」と書いてあるのである。
 幕府がいつ滅んだのかについての自分なりの見解を持たないままに、歴史観の異なる複数の文献の記述を鵜呑みにしてしまったが故の失敗であると思われる。
 一般に文系の学問は、敷居が浅そうに見える。史学は特にそうである。だから、数学や医学を学んでいない歴史家が数学史や医学史に手を出して火傷を負う例が稀である一方、史学を学んでいない数学者や医学者は平気で数学史や医学史に手を出すのであろう。
 「X学史」を「X学」の一分野と見做すのは、やはり無理なのではないかというのが、私の現在の立場である。
 一年程前に『哲学への権利―国際哲学コレージュの軌跡』(参照→http://rightphilo.blog112.fc2.com/)という映画を観た。もう大分記憶が薄れてきているのだが、登場人物の一人が哲学と諸学の関係について語った台詞がおぼろげながら頭に残っている。その人物が、哲学は他の分野を基礎付ける学問であってはならないと主張して、「X哲学」ではなく「X学と哲学」でなければ駄目だ、という意味の事を言っていたという記憶がある。
 この言い回しは、「X学と史学」の関係でも使えるのではないかと思う。
 理想を言えば、X学史の研究は、X学と史学の専門家が共同で行うべきだと思う。それが現実には無理な場合でも、「X学史」を専門にするX学者には、普段から史学者が書いたテキストを専門外のものも含めて熟読してその手法を見様見真似で盗むという程度の努力は、最低限のものとして行って欲しいと思う。

確率論の黎明

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ヒンドゥー教とインド社会 (世界史リブレット (5))

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リグ・ヴェーダ讃歌 (岩波文庫)

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易経〈上〉 (岩波文庫)

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医学の歴史 (中公新書 (39))

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哲学への権利

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