「リバティ」によれば、記事をこっそり修正するのは言論人として不誠実らしい。

 去年の夏、「リバティ」という雑誌が「数え年」の計算方法について重大な間違いを犯した。厚顔無恥な無教養者には困ったものだが、貧者には富を施し愚者には知恵を施す事を趣味としている私は、親切にもその間違いを指摘してやった(参照→http://d.hatena.ne.jp/gureneko/20130804/1375582471)。そしてUMAさんがその指摘をツイッターでリバティ編集長に伝えてくれた(参照→https://twitter.com/thelibertyweb/status/363664246652940289)。
 すると「リバティ」はこっそりと記事を書き直し、私やUMAさんに感謝の辞を述べないばかりか、訂正の報告すら行わなかった(参照→http://d.hatena.ne.jp/gureneko/20130804/1375582471)。私がウェブ魚拓http://megalodon.jp/2013-0804-1416-28/the-liberty.com/article.php?item_id=6439)を残していなければ、危うく私の方が世間から嘘吐き呼ばわりされかねない所であった。恩人を裏切るとは、まるでイスカリオテのユダである。
 もしも地獄が実在するならばこの種の卑怯な連中は全員ほぼ確実に地獄行きであろう。なお慈悲深い私はもしそうなったとしても決して「ざまあ見ろ!」とは言わず、暇な時に「お可哀想に!」と優しく声をかけてやろうと思っている。
 ここまでは「はいはい、いつもの幸福幸福。御愛嬌御愛嬌。」といった所であり、格別驚くには当たらない。
 しかし昨日、この私ですら驚く記事を、「リバティ」内で発見してしまった。
 この2012.05.22付けの記事(http://the-liberty.com/article.php?item_id=4315)を御覧頂きたい。なお、またしても記事を改竄される可能性が濃厚なので、ウェブ魚拓http://megalodon.jp/2014-0121-2346-28/the-liberty.com/article.php?item_id=4315)も取得した。改竄後はこちらを御覧頂きたい。
 この記事では、佐高信氏が「勘違い」をして、その後に「こっそり修正」をした事になっている。その情報の真偽自体はここでは論じない。面白いのは、勘違いを指摘された後にこっそり修正するのは「言論人」として「不誠実」だという価値判断を、この記事が表明しているという点である。
 この価値判断に従う限り、「リバティ」執筆陣は不誠実であるか言論人でないかの、少なくともどちらかであるという事になる。
 あるいはこの価値判断が表明されてからの一年強の間に、幸福の科学では教義の改訂が行われ、勘違いを指摘された後にこっそり修正するのは言論人として不誠実ではないという事になったのであろうか?だがその場合には、佐高氏に「我々こそが未熟でした。」と謝るべきであろう。
"ὑποκριτά, ἔκβαλε πρῶτον ἐκ τοῦ ὀφθαλμοῦ σοῦ τὴν δοκόν, καὶ τότε διαβλέψεις ἐκβαλεῖν τὸ κάρφος ἐκ τοῦ ὀφθαλμοῦ τοῦ ἀδελφοῦ σου."(『マタイによる福音書』第七章より)