書き溜めていた最後の幸福の科学関連メモ 「その人と組んで問題が生じませんか?」の巻

 幸福の科学グループの観察を引退する時には書き溜めていたメモを全部放出するとかつて宣言したが(参照→http://d.hatena.ne.jp/gureneko/20180128/1517142281)、本記事は秘密のネタ帳において記事化に値する最後のメモを元にしたものである。
 テーマは、「その人と組んで問題が生じませんか?」である。
 最近の幸福の科学は、外部の非信者と積極的に組む事が多いが、相手の中には幸福の科学にとって不都合ではないかと思われる者や、逆に相手にとって不都合ではないかと思われる者や、その両方である者が見られた。
 今回は代表例を二つ紹介する。
 これを読んで、「それだけ懐が深い宗教なのだ」と評価するか、「目先の利益のためには教義も捨てる」と評価するかは、読者の皆様に任せたい。
※ケント=ギルバート氏 大川隆法氏の著作には、『モルモン教霊査』・『モルモン教霊査II』という題名の本がある。
 私は未読であるが、ネット上の幸福の科学の信者の感想文やモルモン教徒の反論文を読む限り、「モルモン教徒には良い人も多いが、彼等の崇拝・尊敬の対象には悪も混じっている」という内容の様である。
 なお、この大川隆法氏のモルモン教観の是非についてのコメントは、本題ではない上に私は興味も知識も無い上、コメント欄を代理戦争の場にしたくはないので、どんなに論理的な内容であっても削除させて頂く。 さて、そんな教義の幸福の科学だが、傘下のHS政経塾はモルモン教徒として知られるケント=ギルバート氏をゲスト講師として招いたらしい(参照→https://megalodon.jp/2018-0721-1614-08/enatsu-masatoshi.com/2017/12/16/8546)。
 ギルバート氏は、そんな所にのこのこと赴いて、本当に大丈夫なのだろうか?
藤岡信勝 藤岡信勝氏は、2015年初頭に、前年に行われた本多勝一氏との議論の感想を「改めて呆れた本多勝一氏の卑劣な手口」と題して発表している(https://ironna.jp/article/922)。
 その中で、一対一の議論の筈なのに本多氏側は本多氏と「A記者」の対談という形式の記事を送り付けてきて、しかも架空の存在なのかそうでないのか不明なA記者の発言については文責を負わなかった、という意味の批判をしている。
 「こういう「A記者」なるものを登場させる手法の目的は明白だ。責任逃れである。本多氏は将来、誌上討論の発言で責任を問われかねない事態が生じるかもしれない。その時の保険として、本多氏自身ではなく「A記者」が言ったことにしておけば、逃げを打つことができる。政治家が「秘書が、秘書が」というのと全く同じである。」だそうである。
 なおこれについても、二人の議論の勝敗についてや、本多氏が本当にそのような行為をしたのか、したとしてそれがどの程度悪いのかといった話題についてのコメントは、先程と同じ理由でどんなに論理的な内容であっても削除させて頂く。 ここでは藤岡氏が、「A記者」に語らせて自分は文責を負わないという手法を卑怯だと考えている事だけを把握しておいて欲しい。
 さて、大川隆法氏といえば、他人を批判する際等には架空の可能性が極めて高い「霊」に語らせて信者を煽動しておきながら、「霊は嘘を吐く事もある」という逃げもしっかり確保している卑怯者として知られている。
 そうであるのに藤岡氏は、その年の内に幸福実現党の釈量子氏と手を組んだらしい(参照→https://megalodon.jp/2018-0721-1637-16/https://the-liberty.com:443/article.php?item_id=10585)。
 藤岡氏は、「A記者」や「秘書が、秘書が」は許せなくても「Bの霊言」なら許せるというのか?
 仮に「許せないけど我慢して共通の敵を持つ者同士で手を組んだ」という場合、そういう世俗的な価値判断を宗教側もして良いものだろうか?

モルモン教霊査 (OR books)

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