中世日本の「仏陀再誕」

 『太平記』巻第十八「比叡山開闢の事」では、上杉伊豆守重能が比叡山無用論を開陳している。彼は「桓武帝の御世まで比叡山延暦寺は存在しなかったが日本は平和だったのだから、延暦寺なんか無い方が良い!」と主張するのである。
 これは皮肉にも当時の一部の過激な公家による武家無用論に酷似しているというのが、私の感想である。
 さて、この上杉の主張に対し玄恵法印は反論をするのだが、その反論では「比叡山は生前の仏陀が後世の人を導く根拠地にするために地権者と交渉までしていた約束の地である。そして仏陀最澄として再誕し、予定通り開山した。」という驚くべき内容までもが語られる。
 京都大学文学部国語国文学研究室の雑誌「国語国文」の第二十一巻第七号に掲載された朝倉治彦「「白髭」の發生」によれば、貞治五年(西暦1366年頃)に成立した『神道雑雑集』の下巻の巻頭第一に、これとほぼ同じ内容の記述がある。『神道雑雑集』自体に触れるのはかなり難しいであろうが、朝倉論文ではこの話の全文が引用されているので、興味のある方には一読を勧めたい。
 近代における文字媒体の強大化によって、古典の知識への接触は容易になった。これによってある意味では「原理主義」化した現代人の感覚からすれば、この比叡山開闢物語は嘲笑うべきものであろう。「仏教とは発生当時インドで信じられていた輪廻からの解脱を目指した運動である。教祖の仏陀は解脱の成功者とされる。よって仏陀が再誕するのはおかしい!」という指摘は、今では最低限の教養を持った市井人なら誰でも出来るであろう。
 だが、中世の日本では、こういう話が平気で通用しており、こういう話を知っている方が寧ろ教養人として扱われていたのである。そういった信仰の形態を知らなければ、日本の思想史を理解した事にはならないだろう。
 以前私は中国製の「偽経」を擁護する記事を書いた(参照→http://d.hatena.ne.jp/gureneko/20091216/1260911521)。これとほぼ同様の理由から、中世日本製の「A寺縁起」等の神仏混交風の創作物についても、知識として把握しておくべきであると考える。
 余談ながら、教祖が再誕の仏陀であると主張する幸福の科学では、最澄が地獄に堕ちたと主張している。例えば幸福の科学の雑誌「リバティ」の西暦2012年12月2日の「親鸞日蓮最澄――日本仏教の「悟り」と「限界」とは?」という記事(http://the-liberty.com/article.php?item_id=5232)には、「今回の最澄の霊言の特徴として、慢心と嫉妬心からか、仏教者にあるまじき悪口雑言が見られ、質問者に対して「うるせえな」「バカ野郎」「アホか、おまえは」などと語気強く罵る場面が多かった。これは地獄に堕ちている霊の特徴であり、最澄自身が「修行場にいる」と言いながら、その修行場自体が地獄にあることをうかがわせた。」とある(最終閲覧日時は西暦2013年9月4日19時56分)。
 これがもし、同じく「教祖は仏陀の再誕」という立場を掲げる団体として、『太平記』や『神道雑雑集』に収録された中世日本における「仏陀最澄として再誕した!」という信仰に対抗するためのものであるとすれば、私はその知識の量に対して一種の敬意を表するであろう。

新編日本古典文学全集 (55) 太平記 (2)

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