特に政治家は、親族が逮捕された直後に謝罪なんかしないで欲しい。

 今月七日、石川県議会議員だった森祐喜氏が逮捕された直後、父親である森喜朗衆議院議員はその件を謝罪したらしい(出典→http://sankei.jp.msn.com/affairs/crime/100807/crm1008072105016-n1.htm)。
 更に同十日には、元衆議院議員浜田幸一氏が逮捕され、やはり息子である浜田靖一衆議院議員が「お騒がせ」とやらをした事を謝罪したらしい(出典→http://www.yomiuri.co.jp/national/news/20100810-OYT1T00658.htm)。
 どちらも私には不愉快な情報であった。
 まず第一に、逮捕されただけで謝るというのが解せない。推定無罪の原則に反している。森祐喜氏は罪を認めているらしいので、前者は百歩譲れば何とか我慢できなくもないが、浜田幸一氏は罪を認めた訳ではないので、後者はどうしても許せない。
 日本の民衆が推定無罪の原則を体得していないから、少なくとも表向きは憲法国際人権規約刑事訴訟法よりも愚民に迎合しなければ政治生命が危うくなるという事は、私も理解している。しかし同世代に犬畜生呼ばわりされてでも民衆を正しく教導してこそ、真の政治家である。支持率が相当下がっても総理大臣の椅子に座り続けた森喜朗議員ならばその事は少しは解っている筈だと思っていたのだが、実に残念であった。
 数日前私は、辛淑玉氏の『不愉快な男たち!』(講談社・1998)という著作で推定無罪の原則が無視されている点を批判したが(参照→http://d.hatena.ne.jp/gureneko/20100804/1280907577)、これについて氏に全責任を負わせる積もりはない。民を善導出来なかった日本の政治家達にも、一定の責任を観念出来るだろう。
 次に、日本は連座制を既に廃止しているので、親族が謝ったという事自体もやはり私には不愉快である。
 森善郎議員は元親権者であるから、森祐喜氏が仮に有罪であった場合には、これまた百歩譲れば教育者としての責任を少しは観念出来るかもしれない。しかし浜田靖一議員は、浜田幸一氏が有罪であったとすれば、いっそ出藍の誉れを誇っても良い程の立場にある。
 森喜朗議員と浜田幸一議員は、肉親を切り捨てる事で、己の政治生命を守り、家父長制イデオロギーを保守し、冤罪防止運動に痛撃を与えたとも言える。
 今回の二事件を事例に出してここぞとばかりに保守派を攻撃している積もりになっている人は、一石三鳥の苦肉の計に自分が騙されていないか、今一度良く考えてみて欲しい。

不愉快な男たち!―私がアタマにきた68のホントの話

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