続・私とサイコパスの関係――消えた罪悪感と残った罪悪感

 「B」というサイコパスから逃れるため、「Cさん」に迷惑を掛けつつ、2010年の11月末頃に私がある組織から逃げ出した事についての記事(http://d.hatena.ne.jp/gureneko/20110527/1306508354)を書いた。本日はその続報的性格の話である。
 一週間程前、その組織が私なんかがいなくても立派に存続・発展している事を、風の便りに聞いた。これにより、僅か一人の構成員への恐怖のために全体に迷惑を掛けたという罪悪感は消えた。
 一方、まだ残っているどころか、一層強まった罪悪感が、Bの金銭着服疑惑の調査をCさんに進言しなかった事へのそれである。
 私が抜ける少し前、組織の金を誰が管理するかという話があった。大御所的構成員は、私にその事務を任せようとしていたのだが、私がほんの少し躊躇している間に、Bが現金の入った袋を掠め取っていった。その時の私は、恥ずかしながら、重い責任を負わなくて済んだ事をただ無邪気に喜んでしまっていた。
 その後、宴会の席で、私が泥酔していると思い込んだBが、私が酔っているのを利用して規定の二倍の料金を払わせようという相談を他の構成員に持ちかけているのを、私はしっかり聞き取った。この時も私は、単にBがサイコパスであるという確信を深めて、早くこの集団から勇退しないともっと大変な目に遭わされかねない、と思っただけであった。
 それから少し経って、金銭に関する最低限度の倫理を持ち合わせていない者が金を管理する事の恐ろしさに気付いた。そして何故Bが組織の金を管理する係を自発的に志願したかについても思いを馳せ始めた。
 だが私はCさんに勇退の件について相談する際、その疑惑を遂に話せなかった。これについては以下に列挙する通り、100%私の心の弱さが原因である。
 第一に、当時の私は自分の身の安全ばかり考えていて、その後の組織の健全な運営をも思い遣る余裕が無かったのであろう。
 第二に、私は「自分の気に食わない人物について陰口を言う人」だとCさんに見られたくなかったのであろう。だからBについて確証の在る事しか言わなかった。以前森喜朗氏と浜田靖一氏とを批判して「同世代に犬畜生呼ばわりされてでも民衆を正しく教導してこそ、真の政治家」だと偉そうな事を書いた(参照→http://d.hatena.ne.jp/gureneko/20100811/1281532452)私だが、それから半年も経たない内に自分もまた正義の実現よりも自分の良い印象を守る事を重視してしまった。両氏にはこの場を借りて謝罪する。
 第三に、「疑わしきは罰せず」という格言の意味を下手に拡張してしまったという事が挙げられる。「疑わしきは告発せず」→「疑わしきは調査せず」→「疑わしきは調査の進言すらせず」となるに従い、徐々に正義から遠ざかっていくものである。
 かなり個人的な失敗談だが、誰かの他山の石にでもなれば良いと思ったので、ここで紹介した。