ここ数年、体調面でも社会的地位の面でも、不遇の時期が続いていた。それがやっと一段落し、来年からは余程運が悪くない限りは急浮上の予定である。
だが不遇の時代にも、不幸中の幸いは数多くあった。そしてそうした幸いの中には、不遇な時代にしか遭遇出来ない幸福もあった。
その最大のものは、本当の友人だけが周囲に残ったという事である。私の表面的な地位のみを見て、それを悪用してやろうと思っていた「友人」は、自然に正体を現して去って行った。
以前私は、「周囲に居た全てのサイコパスと自然な形で縁を斬る事に成功した」という意味の記事(http://d.hatena.ne.jp/gureneko/20110527/1306508354)を得意気に書いたが、今にして思えばあの成果も、単に私の人物評価眼と人付き合いの能力が向上した事のみによってなされたものではなく、相手の方でも私から奪う予定の金が減り、私への執着心が減少していた事も、大いに原動力となっていたのかもしれない。
そして私はこうした経験を通じ、『葉隠』の「誤一度もなき者は危く候」という言葉から、より多くの意味を引き出せる様になった。
かつての私はこの言葉から、「一度も失敗をした事の無い者は慢心して注意不足に陥っているので、いつか大失敗をする可能性が高い。」という教訓しか学べなかった。
今は、「一度も降格処分を受けた経験の無い人物の周囲には、危険な利権集団が多数ぶらさがっている。こういう人物に高い地位を与えると、利権集団は今までの友情ごっこの投資を必ず回収に来る。」という教訓も学んだ状態である。
- 作者: 小池喜明
- 出版社/メーカー: 講談社
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