実は駄本を批判した後は気が重い場合が多い

 私は実は、ブログで駄本を批判した後は気が重い場合が多い。その本の著者に狂信的な愛読者が多数いる場合は特に気が重い。狂信者によるハッキング攻撃や荒らしを心配して気が重くなるのではない。私の文を読んで洗脳が解けた人の一部に対して罪悪感が生じるのである。
 「今までA氏を絶対的に信じていたけど、その誤りに気付いたから、今後は是是非非の態度で臨むよ。」というタイプの進歩を遂げた人に対しては罪悪感は生じない。正直に言えば寧ろ恩に着せたい程である。しかし「私を取り巻く絶え間無い不幸が、Bさんの勃興によって僅かなりとも改善されると期待して、なけなしの金を払ってBさんの著書を買い支えてきた。そして今日、その夢は打ち破られ、自分が永遠に救われない事に気付かされてしまった。」という人に、罪悪感を覚えるのである。
 インテリの中には「大丈夫。より優れた別のライターへの信仰が直ぐに始まり、穴を埋めるであろう。」と思い込んでいる人も多いだろう。しかし実際の所、三流ライターには三流ライター固有の魅力というものがあり、彼等にしか縋れない人というのもいるのである。
 例として当ブログの直近の書評(http://d.hatena.ne.jp/gureneko/20110717/1310881439)を利用し、辛淑玉氏に依存している読者の像を考えてみる。
 ここに仮に「Qさん」という一人の社会的弱者がいるとする。差別もされているとする。一日中働いて暮らしていくのがやっとなので、勉強して賢くなる時間も体力もない。そもそも勉強するための知性もない。しかし現状への漠然とした不満は持っている。言わば、「左派」の多くが本当に救いたいような人物である。
 だが左派評論家の多くは、Qさんに直接言葉を伝える意思も能力もない。「インテリ層に影響力を及ぼす事で世の中を変えれば、どうせ自動的に弱者は救われるだろう。」と考えている。Qさんは孤独感を深めていく。
 Qさんは頭が悪いので、ある日ネット上の差別主義者にすら議論で負けてしまった。藁にも縋る思いで、差別主義者への対策を行っていそうなページを検索してそこに辿り着くと、「差別主義者の正体は、現状に不満を持っている低学歴の連中だ!」みたいな分析が堂々と書かれていた。Qさんは怖くなってしまい、そのサイトを活用しようという気が失せ、逃げ出した。
 このQさんが現実逃避をするためには、やはり辛氏の著作は便利である。実の所は非論理的な罵声でしかない文章こそ、「Qさんにも理解出来る」文章なのである。剽窃とはいえ「差別主義者の正体は、現状に不満を持っている高学歴の連中だ!」という分析がなされ、エリート層への誹謗もきっちり行われているので、Qさんのプライドは満たされる。しかも付け焼刃で様々な問題を論じているので、これからはもう辛氏にさえ帰依していれば、靖国を考える際にわざわざ高橋哲哉氏の新書を一冊苦労して読むといった難行からも逃れられるのである。「一人で出来る文化大革命である。
 私はQさんから阿片を奪う事は出来る。だがそれに代わる幸せを与える事は出来ない。だから迷いが生じる。
 魯迅の『吶喊』の自序の中には以下の様な発言がある。魯迅著・藤井省三訳『故郷/阿Q正伝』(光文社・2009)の258ページから引用する。
 「かりに鉄の部屋があって、まったく窓もなくどうやっても壊せないやつで、その中では大勢の人が熟睡しており、まもなく窒息してしまうが、昏睡から死滅へと至るのだから、死に行く悲しみは感じやしない。いま君が大声を上げて、少しは意識のある数人の人をたたき起こしたら、この不幸な少数派に救いようのない臨終の苦しみを与えることになるわけで、君は彼らにすまないとは思わないかい?」
 これは、私の中にある駄本批判を躊躇するベクトルの気持ちを文章化したものと、ほとんど同じである。
 それでもやはり、私は危険性の大きな駄本は批判すべきだと思う。何人かの元狂信者の心を傷つけてでも、脅威を除かなければ、それ以上の苦しみが世界に蔓延してしまうという事もある。だから私は時には気力を奮い起こしてキーを叩くのである。
 例えば今回の『ケンカの作法』においては、58ページの「「国民」ではないとして憲法の人権規定からも排除され、無権利状態のまま放置されてきたマイノリティの一人である私」が危険である。
 辛氏は軽い気持ちで、大昔に習った少数説を披露したのであろう。あるいは実は判例・通説を踏まえた上で、殊更に自己の境遇を悲劇的に語って見せる事が現状打破をもたらすとでも思ったのかもしれない。
 しかし万が一これを真に受けてしまった外国人がいたとして、その人が日本で人権侵害を受けた場合、公的機関に相談もせずに、「辛先生が書いていた通り、これが日本の朝憲なのだから仕方がない。」と泣き寝入りしてしまうかもしれない。そして一人が泣き寝入りをすると、その事自体が、隣で同じ被害を受けてそれに立ち向かっている人の足を引っ張る事になるのである。
 これはやはり、誰かが声高に真実を叫んだ方が良いだろう。

靖国問題 (ちくま新書)

靖国問題 (ちくま新書)

故郷/阿Q正伝 (光文社古典新訳文庫)

故郷/阿Q正伝 (光文社古典新訳文庫)