「AをXの一員扱いしたらXに失礼」という言い回しを、単なる皮肉としてではなく、真理として理解しよう。

 「あいつはXの(事実上の)所属に違いない」とレッテルを貼ってくる人物は多い。私は派閥抗争の激しい組織内で長らく中立派を貫いた経験から、そういう人物の被害には慣れっこになってしまっていた。
 慣れた後は「レッテルを貼られても平気な自分は度量が広い」と慢心していた(参照→http://d.hatena.ne.jp/gureneko/20100112/1263294876)。
 だが数年前、赤信号を律儀に守っている私の姿を見た知人が「カント主義者ですか?」と聞いてきた時には、久々に全力で否定した。「とんでもない、私みたいな自堕落なクズを、あんな立派な人達の一員に加えないでくれ!」
 その時に気付いたのである。「gurenekoは亀井(仮名)派だ!」と言われても平気だったのは、私自身が亀井派の面々を密かに馬鹿にしていたからであり、亀井派亀井派で私なんかと同類にされて不愉快だったかもしれないのだと。「何でそこではっきりと否定しないのだ!」とやきもきしながら私を見ていた亀井派の人も、きっと多かったであろうと。
 これに関して、最近問題だと思った件を二つ語る。
  
 最近、ある弁護士が「シールズ」という団体を批判した所、シールズのシンパには左派中道あたりを自認する人が多かったらしく、「ネトウヨ」とか「極左」とか、左派中道ではない様々なレッテルを貼ってきたらしい。
 するとその弁護士は「ネトウヨ/極左/レイシスト/統一協会/革マル派/中核派/(引用者による以下略)」という肩書の名刺を作って、レッテル貼り屋達を嘲弄したとの事である。
 数年前までなら、私も「何て豪快な弁護士先生だ!」と称賛したであろう。
 また今でも、「ネトウヨ」や「レイシスト」は一枚岩の組織・集団を意味しないので、誰がそう自称しようと自由だとは思っている。
 しかし「統一協会」や「革マル派」や「中核派」は組織名である。他称がきっかけだったとはいえ、冗談半分に勝手に虚偽の自称をされて、不愉快な気分になった本物の構成員も多いであろう。ましてこの三組織は互いに仲が悪いのであるから、三団体のかけもちなぞ実際には有り得ない。だからこの名刺は二重の意味で他者に迷惑をかける悪ふざけであったと思う。
 勿論、実際に裁判になればほぼ間違いなく弁護士の方が勝つであろう。前述の二つの悪ふざけの後者の部分が、裁判では逆に「誰から見ても冗談だとわかるようにできている」という弁護士側に有利な特徴とみなされるであろうから。しかし倫理的にはやはり問題のある行為であると思う。
 念のため書いておくが、この弁護士に無根拠なレッテルを貼った連中こそが一番悪いのは当然である。彼への批判は、それを前提とし、彼に同情をした上でのものである。
 
 最近ネット上の反差別運動の一部で、「「おまえはY国人か?」と聞かれてそれを否定した時に、もう差別は始まっているのだ。」という論法で、国籍についてのレッテル貼りに抵抗しないようにしようという動きが広まっている。
 日本国民なのにY国人であることを否定しないという態度は、確かに一部のY国人を傷つけないための、麗しい動機による嘘かもしれない。
 しかしY国人の中には、「偉大なる我が国から帰化を許可されていないどころか、申請の手続きすらしていない人物が、他者からの誤解を口実に勝手にY国の一員の振りをするなんて許せない!」と、不愉快になる人物も多いであろう。
 誰かを傷つけないための嘘が、別の誰かを傷つけるという事もあるのだ。
 だから嘘を利用した社会運動は、やめよう。(と、こんな事ばっかり言っているからカント主義者扱いされるのかもしれない)