三流と一流は酷似してしまう事もある。だからファッショは怖いのだ。

 以前まったく別の話題で、「ある立場が一段階格下の立場よりも二段階格下の立場に似てしまう事もある」という話を書いた。(参照→http://d.hatena.ne.jp/gureneko/20131011/1381497351
 ここ数年で、あの有名な田母神俊雄氏を通じて、そうした現象が政治の世界にもある事を思い知らされた。本日はその件を語ろうと思う。
 私が田母神氏の名前を最初に知ったのは、「民間の懸賞論文に応募して受賞したために事実上の解雇をされた公務員がいた」というニュースを聞いた時である。
 やがてその論文が公開されていると知り、読んで感想を発表した。(参照→http://d.hatena.ne.jp/gureneko/20081107/1226009194
 この時は、この文章の書き手が保守業界でまさかここまでの寿命を保つとは思っていなかった。
 というのも、論文のある個所では日米安保条約を善と見做しつつ別の個所では悪と見做す等の傾向が見られたので、「これは信念の無い男が様々な保守思想家の主張を適当に継ぎ接ぎして書いた文章だな」と見抜けたからである。そして「どうせすぐに、反米保守か親米保守か、あるいはその両方に捨てられるだろう」と思ったのである。
 ところがこの田母神氏は、その後も保守業界でしぶとく生き残り、東京都知事選に出馬して四位にまでなってしまった。私の予言は完全に外れてしまった。
 この選挙で田母神氏の順位以上に驚かされたのは、応援団の陣容である。そこには反米保守も親米保守もいた。自由主義的な保守主義者もいれば、封建主義的な反動主義者もいた。普段は内部抗争に明け暮れている連中が、田母神氏の下に一致団結をしたのである。
 これは田母神氏本人に思想らしい思想が無いのが、却って疑似的な包容力となったせいであると思われる。
 以下は、この件を機に作ってみた現代日本における保守政治家の三段階の序列である。
※一流保守政治家・・・反米主義と親米主義、自由主義と封建主義という、本来相容れない思想を持った多様な人々をカリスマ性や共通の利益の提示により上手に糾合し、自由民主党を適切に運営していく。公明党とも余計な悶着を起こさない。
※二流保守政治家・・・自身が思想家を兼任しているため、支持者も反米か親米に大きく偏りがちとなる。どんなに頑張っても小さな政党の党首や派閥の長あたりが極官。「教条主義マルクス主義者」の右翼版みたいな連中。
※三流保守政治家・・・適当に反左翼的な事を言っているだけの人。だがだからこそ一流保守政治家とある意味で紙一重。たまに日本維新の会と太陽の党を一つにする等の離れ業をやってみせるが、当然長くは持たない。
 この種の三段階に近い図式は、革新業界や中道業界にも見られる。
 一流との見分けが困難な三流は、その擬態によって一時的に頭数を揃え、二流を圧倒する事がある。ファシズムはその典型であろうし、ブーランジェ将軍事件等もこれに近いものであろう。
 「どうせあいつらは馬鹿だから、大した影響力を持てないだろう」とインテリが油断していると、時には社会全体が狂気に負けてしまう事もあるのだ。
 ここ数年、私もそうした油断者の一人であった。
 「影響力を持つ可能性は低いが、もしも持ってしまったらその弊害は二流の比ではない三流」を、面倒でも丹念に批判していこうと、誓いを新たにした次第である。