進歩の無い単なる転向者も社会にとっては有用な人材である。

 政治思想であれ宗教であれ、所属している団体に嫌気がさしただけで転向をする人がいる。こういう人は「騙されやすさ」では全く変わっていない。本人に進歩が無いのみならず、教祖の命令通りに反社会的な行為をする確率は同じなので、周囲にとっての危険度は全く同じである。
 だからこういう人への評価は厳しい。「幸福をやめても統一に行ったのでは意味が無い」とか「右翼をやめても左翼に行ったのでは意味が無い」とか、散々批判をされる。
 私も厳しかった人の一人である。
 だが最近、そういう人でも社会にとってはどちらかというと有用と考えるようになった。
 気軽にカルト的団体を抜けて、気軽に内部事情を明らかにする人がいてこそ、社会はその団体についての情報を蓄積出来るからである。
 そしてそういう人を相手に団体がどの様な対処をしたかが、その団体のカルト度を審査するための重要な資料となるからである。
 また、本人の利害をパターナリスティックに考えた場合ですら、やはりとにかくまず移籍してみるという事には、僅かながら意味が有ると思い始めた。
 第一に、次の移籍についての心理的障壁が低下するからである。どんどん渡り歩いている内に、いつか穏健な団体に出会ってくれるかもしれない。
 第二に、多少とも知見の蓄積にはなるからである。外見上は「他の宗教は全部駄目」という教祖の言いなりになっている姿が同じに見えたとしても、一度転向した人の脳内では「その通りだ。例えばA教が駄目な理由はかくかくしかじかだ。」という、やや具体性のある感想が出来上がっているであろう。こういう知識が増えていくにつれ、最後には一気に社会に戻ってきてくれる可能性もある。
 本人なりに考えた上での転向について、社会の側が目をいからせて「その転向では駄目。社会人に戻るか、よりカルト度の低い団体への転向にするか、どちらかにせい!」と言ってしまうと、多くの転向者予備軍を委縮させてしまうであろう。そしてやがて社会はその頑なな態度の報いを受ける事になるであろう。