庶民にとっての金正恩政治の是非を、報道して欲しいと思う。

 確か陳舜臣氏の小説か評論で触れた記憶しているのだが、前漢武帝呂后の比較論を読んだ事がある。
 呂后史書に名の残る上流階級の人物を大勢殺したせいで極悪人とされてきたが、その治世は安定しており、人口も着実に増えていったらしい。
 武帝はその逆であり、上流階級への粛清が(呂后と比べると)少なかったので英雄とされたが、庶民にとっては危険な政治家であったとの事である。
 この比較自体が正しいのかどうかは当時は判断出来なかったが、ここで使われた手法自体は生涯奉じていこうとその場で決めた次第である。
 本日はこの手法を現代日本北朝鮮関連の報道に関して適用してみる。
 最近の北朝鮮関連の報道では、金正恩氏による北朝鮮の有力者達への粛清が正日時代よりも厳しいという事ばかりが語られ、それを根拠に氏を暗君と決めつけている。
 有力者の粛清自体は確かに大きな政治的影響があるので今後も報道し続けて欲しいが、それを支配者としての善悪を判断する際の基準として過度に重要視するのは如何なものであろうか?
 粛清される有力者が仮に二倍に増えたとしても、庶民の数と比較すれば誤差の範囲内である。
 それぞれの統治の全期間における一年当たりの餓死者や強制収容所送りになった人の数を比較し、それらが正日時代より増えていたなら正恩氏を批判し、減っていたなら一定の評価を与えるのが、民主主義国のあるべき報道の姿勢であろう。
 それともまさか、「北朝鮮の上流階級の粛清は悲劇だが、北朝鮮の下層民の餓死は統計上の数値に過ぎない」と本気で思っているのだろうか?