「ドイツに学べ」への反省論が出てきたが「我々がガザの悲劇を拡大した」の視点が弱いのが残念。第二次世界大戦の同盟相手選びの「東アジア限定の反省」に酷似。

1.「ドイツに学べ」への反省の質的不足

 最近のイスラエルのガザ及び周辺諸国への過酷な姿勢に対してドイツが寛容であることが、日本の左派の多数派の利害と衝突し、「ドイツの方が日本より第二次世界大戦を反省しているので、日本はドイツに学べ」論への自己批判が聞こえてきた。

 しかしその「反省」が、自身の見識の狭さという能力面での問題や、日本の国論に悪影響を与えたという面での問題に留まっているというのは、やはりまだまだ見識が狭いと言わざるを得ない。

 日本の左派の多数派が「西ドイツは戦後処理を日本に学んで、国防軍をせめて自衛隊に降格しろ」と言うのをやめてドイツを称え始めた事は、ドイツの世論が「我々のやり方こそが、戦後の日本より正しかったのだ」という方向に向かうことにつき、微力なりとも一助にはなったことであろう。

 そしてドイツが既存の方針に自信を持ったことが、やはり微力なりともイスラエルの暴走に一役買った事であろう。

 そういう地球規模の反省が無いのは、非常に残念である。

2.もう一つの「ドイツに学べ」への反省に酷似

 そしてこれは、第二次世界大戦の同盟相手選びにおける「東アジア限定の反省」に酷似している。

 第二次世界大戦前夜における同盟相手選びにおいて、大日本帝国は「ドイツに学べ」論に動かされてドイツを選んだ。

 この件について一応の「反省」をしている者は極右から極左まで広く見られる。

 しかし「ドイツに学んだせいでXに迷惑を掛けてしまった。これからは気をつけよう」のXに代入される存在は、「昭和天皇」や「日本国民」や「周辺諸国民」であることがほとんどであり、視野が日本の作戦領域に限定されているのが現状である。

 「松岡外交がドイツを助長し、それに不満を持たなかった日本の世論が一層ドイツを助長したせいで、東欧で様々な悲劇を生んでしまったので、今後は気をつけよう」という反省をしている人はほとんどいない

 そしてこの無反省が二度目の「ドイツに学べ」の悲劇を生む一助になったとも言えるだろうから、「自分自身は二度目の「ドイツに学べ」を主張していないぞ。むしろ批判的な立場だったぞ」という人の大半もまた、この悲劇を偉そうに他人の失敗談と見るべきではないのである。