加地伸行編『孫子の世界』(中央公論社・1993)所収、「『三国志』の英雄と『孫子』」(山口久和)の問題点

孫子の世界 (中公文庫)

孫子の世界 (中公文庫)

 最近、加地伸行編『孫子の世界』(中央公論社・1993)という文庫本の初版を入手した。元々は1984年に新人物往来社から出版されたものらしい。
 相当優れた文章も多数収録されていたのだが、11〜35ページに収録された「『三国志』の英雄と『孫子』」(山口久和)という節が抜群に酷い出来であったので、批判しておく。
 第一の問題点は、文法や文章作法上の劣悪さである。
 まず、全体を通じて諸葛亮だけは「諸葛孔明」または「孔明」と記述されているのだが、他の人物は「姓+名」で記述されている。幾ら執筆者が孔明を尊敬していようと、ノンフィクションでこの種の不平等を行うのはよろしくない。
 12ページには「こうしてそのつぎに立てられた皇帝が、後漢最後の献帝である。」という文がある。だが「後漢最後の献帝」などと書かれると、まるで後漢には省略すると「献帝」になる諡号を持つ皇帝が他にもいたかのように読めてしまう。
 26ページ、「南船北馬」の傾向の解説の中に、「春秋戦国時代、中原の覇者たるべく諸侯が相い争う中で生まれ、体系化された『孫子』『呉子』『司馬兵法』という兵書は、専ら陸戦を主題とし、河川や海上での戦闘を考慮することがなかったのは、中原という地理的環境が大きく作用していよう。」という文がある。「兵書は」は「兵書が」にした方が良いであろう。
 31ページ、「彝陵の戦い」という表現が初出する。中身を読むと、これは『三国志』や『資治通鑑』に記される「夷陵」の戦いを指していた。執筆者なりの深い理念があって清代に流行した表現を用いたのだろうと好意的に解釈して読み進めたのだが、32ページに「世に彝陵(湖北)の戦いといわれるこの戦役」という記述があったので、やはり減点の対象とした。「世にいわれる」というからには、世間一般で流通している表現を用いるべきである。
 32ページには「彝陵の戦いの翌年(二二二)、劉備は丞相に後事を託して殂(死)す。」とある。書き下し文でもないのに、『三国志』で劉備の死去を記述する際に使われた文字を、何の説明もせずに現代日本語の中に無理に混入させているのである。春秋の筆法よろしく執筆者の頭の中には本人にしか解らない深い理由があったのかもしれないが、傍から観察する限りは、頭の悪い小中学生が無理に衒学的であろうと欲して失敗した時の様な駄文にしか見えない。
 35ページには「歴史の主催者「天」は、孔明の死後わずか三十年にして、蜀を滅ぼすことになる。」とある。四十年強しか続かなかった蜀漢の歴史において、三十年は「わずか」というべき時間であろうか?公孫述政権・成漢・前蜀後蜀といった四川の独立政権の存続期間を見ても、この地を三十年間維持するというのはさして容易い事ではない。
 第二の問題点は、事実認識に関して虚偽や勇み足が多いという事である。
 12ページ、反董卓の動きの解説の中に「曹操は陳留(河南省)において家財を投じて、五千の義兵を集めた。」という文がある。曹操が家財を投じて義兵を集めた件については、確かに『三国志』魏書武帝紀の本文に記述がある。しかしこの「五千」という兵数の出典は、裴注が引く『世語』であり、そこではこれらを集めた「家財」は衛茲の家財とされている。「曹操が家財を投じて義兵を集めた事」にも「五千の義兵が集まった事」にもそれぞれ典拠が存在するのだが、著者の纏め方は荒っぽい。
 14ページでは、「太尉・司徒・司空の三公」を「漢代の最高官職」としている。しかし太傅等の三公以上の格の官職も、漢代には存在した。
 18ページでは、官渡の戦い袁紹が許攸の作戦を退けただけでなく、「あまつさえ彼を獄につないだのである。」としている。しかし『後漢書袁紹伝や『資治通鑑』巻63では、獄に繋がれたのは許攸の家族であり、その行為の主体も審配である。著者はおそらく田豊の事績と混同してしまったのであろう。
 24ページでは、劉蒴を「荊州の牧」であるとしているが、劉蒴が牧に就任したという記述は、『後漢書』にも『三国志』にも『後漢紀』にも『資治通鑑』にも無い。
 25ページでは、赤壁の戦いの時点で「馬超韓遂らの涼州勢が許昌を脅かし」ていた事になっている。涼州に割拠する勢力が許昌を直接脅かせるものではないが、これはまあ文学的表現という事で辛うじて見逃せる範囲としておく。問題なのは、この時点の実際の馬超軍とは、馬騰韓遂と対立して都に住み始めたのでその旧兵の指揮権を馬超曹操から与えられる形で成立したばかりの、親曹操反韓遂の傾向を持つ勢力だった事である。
 28ページでは劉備を評して「本人は無能といってもよいが、その下に付き従う者が、うまく主君の欠点をカバーする。一体どういう人物であろうか。人物類型の展覧会の如き観ある中国の歴史にも、劉備のような人物はめずらしい。強いて挙げれば、小説『水滸伝』中に出てくる、梁山泊の首領宋江ということになろうか。」とある。無能な主君が有能な部下に補佐される図式は、そんなに珍しいだろうか?劉備宋江の他にも、史実では漢の劉邦、小説では『西遊記』の玄奘が、即座に挙げられそうな気がするのだが、如何なものであろうか?
 同ページには「確かに、後漢末、益州は戦禍を受けず、平和を保ってきた。劉備に蜀を奪われた劉璋の父劉焉が、もともとこの地に入ったのも、資源の豊かさに目をつけたからである。」とある。だが『三国志』の劉焉伝を読む限り、当初交阯牧を希望していた劉焉が急に益州牧を希望し始めた理由は、董扶から益州に天子の気があると聞かされた事にある。また益州でも馬相・趙祗による大反乱があり、そこは必ずしも平和を保っている地域ではなかった。
 編者の加地伸行による「あとがき」を読む限り、本書は世に氾濫する大衆的な『孫子』本への対抗として編まれたもののようである。だがこんな出来栄えの節に一番槍を飾らせた事や、文庫化の後にすらそこにこれだけの不適切な箇所が残っている事を鑑みるに、その理念は販売促進のための宣伝の掛け声で終わってしまったと言える。
 大衆書の著者が等し並みに学者を誹謗して自分の劣悪な作品を売り込むという光景は、しばしば見られる。だが本書に見られた通り、逆に学者が大衆書を等し並みに誹謗して欠陥商品を売り込むという事例も、間々見受けられるのである。
孫子の世界

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