昨日、遅れ馳せながら『ヱヴァンゲリヲン新劇場版:破』を観た。
この作品には楽しみにしていた電脳丸腰庵さんの連載を一回停止された事があるので(参照→http://d.hatena.ne.jp/marukoshi-an/20090627/p2)、私にとっては遺恨のある相手である。「ホンモノなら帰依してやるしニセモノなら化けの皮を剥いでやる!」と、法論でも挑む様な気持ちで観に行った。
まず感覚面での感想から。
今回は使徒との戦いが五回行われたのだが、三回目の戦いは音楽と映像美の総合芸術と言えるものに仕上がっており、体の芯から身震いさせられた。これは映画の何倍も入場料を取られるコンサートに行っても常には味わえない身体的現象である。ストーリーを知的に理解するだけならDVDでも十分なのだが、身震いは大画面を前にして音が横からも来る状況でしか起こり得ないので、行って正解だったと言える。
続いてストーリーの我流分析。(もしも既に同じ様な分析があったら書き手に謝罪の予定)
「食」とそれによる変容とが本作品を貫く鍵となっていると感じた。
前半では碇シンジが同級生に自作の弁当を振る舞い、友情を深めている。飲食によって切っても切れない仲になるというのは、日本を含む多くの地域に見られる文化である。
彼を見習って綾波レイや式波アスカが料理に挑戦する時にも、動機として友情や恋愛や碇父子を和解させたいといった感情が描かれている。
そう見ていくと、農園を所持している加持リョウジが、金銭で購入したコーヒーを差し入れたり居酒屋のメニューを前に語り合ったりしてばかりなのは、自分の半面は曝け出さずに抑制された交流をしているとも解釈出来る。不自然に距離のある碇ゲンドウとレイの会食の場面も、両者の付かず離れずの関係を暗示していると言える。
後半では暴力的な食事が多数描かれる。
シンジの乗るエヴァンゲリオン初号機は、アスカの入っているエントリープラグを噛み砕く。この直後、シンジは暴力的な反乱を試みている。次回作の予告編を見るに、アスカはこの時に隻眼になった可能性が濃厚である。
また最後の戦いでは、使徒がレイの乗る零号機を食べる事で、自己の識別信号を零号機型に変容させている。
この後の、食べられたから元の場所には戻れないというレイの主張と、何が何でも連れて帰るというシンジの反論とは、『古事記』における伊耶那岐命と伊耶那美命の対話にかなりの影響を受けていると思われる。『古事記』ではその後世界のあり方まで劇的に変容する訳だが、本作品でもこの一件はサードインパクトの始まりと位置付けられている様だ。またその直後に重要人物である渚カヲルが突如出現するのも、三貴子の誕生に擬えているのかもしれない。
何かを食べたり、何かに食べられたり、身体の一部を欠損させたりして、自己を変容させる事は、多くの民族でイニシエーションや脱俗の手段として使われている。ゲンドウの「大人に成れ」発言や、エヴァンゲリオンが神に近い存在に成るという設定も、こうした所と繋がっていそうである。
また味覚と最も近い感覚である嗅覚に拘る、新キャラクターの真希波マリが、異分子なのかそうでないのかは微妙な所である。
余談だが、雁屋哲原作・花咲アキラ作画『美味しんぼ』の何でも料理で解決するストーリーは、しばしば嘲笑されているが、私はそうそう馬鹿にしたものでもないと思っている。
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