「ドイツの戦う民主主義は綺麗な戦う民主主義、韓国の戦う民主主義は穢い戦う民主主義」という立場について

 ワイマール共和国と大日本帝国は、独裁が成立するにいたった原因がほぼ逆であったため、それを反省して作られた戦後の西ドイツと日本の制度もほぼ逆になった。
 少数意見・極端意見を尊重し過ぎてナチスの台頭を招いた事を反省した西ドイツでは、「戦う民主主義」というものが作られ、現代の統一ドイツに受け継がれている。これは極右であれ極左であれ、全体主義者を刑事罰まで用いて弾圧出来る体制である。
 一方、治安維持法で政党の選択肢を狭めすぎて独裁を招いた事を反省した(というかGHQに反省させられた)日本では、極めて価値相対主義的な憲法が作られ、戦前の体制を賛美する事も東側の体制を賛美する事も許されるようになった。
 ただし日本にも戦う民主主義に憧れる人は多い。「そんな体制が成立したら、真っ先に貴方が粛清されるのでは?」と傍が思う様な人の中にも、思想というものに対して強権的なドイツを賛美している場合がある。
 しかし日本のすぐ側にも戦う民主主義国が存在する事は、余り知られていない。というのも、ドイツと違ってそれを称賛する日本人が余りにも少ないからだ。
 その国とは、韓国である。この国では、日本統治時代を懐かしむ言論も、北朝鮮の体制を賛美する言論も、どちらも禁止されている。
 欧米の権威ある機関が作る世界民主主義ランキングでは、この傾向については特に大きな減点はされず、韓国もドイツも良い順位を与えられている。
 しかしドイツの戦う民主主義に憧れる人が極右や極左の中にすらいるこの日本では、韓国の戦う民主主義は単なる民主主義の遅れと理解される事が多いのである。
 最近では、統合進歩党という国会に議席も持っていた左派政党が解散させられたが、日本の極右の中からすら「韓国に学べ」という声はほとんど聞こえなかった。
 また『帝国の慰安婦』という、韓国の言論界の中では比較的大日本帝国に甘い本を書いた学者が起訴された時にも、やはり「韓国に学べ」という声はほとんど聞こえてこなかった。
 
 私は、「戦う民主主義」至上主義も「戦わない民主主義」至上主義も、どちらも一つの意見として尊重はするものの、余りに杓子定規であるので組したいとは思わない。
 そして「ドイツの戦う民主主義は綺麗な戦う民主主義、韓国の戦う民主主義は穢い戦う民主主義」という見解は、差別以外の根拠があるならば寧ろ上記の二つの見解より優れているとすら思う
 一番駄目なのは、自覚的であれ無自覚的であれ、単なる欧州崇拝とアジア蔑視に基いて、「ドイツの戦う民主主義は綺麗な戦う民主主義、韓国の戦う民主主義は穢い戦う民主主義」と決めつける立場である。
 具体的に誰とは言わないが、『帝国の慰安婦』の著者の起訴に抗議声明を出した日本の知識人の中には、ドイツの言論統制を褒めていた者がいる。そういう人は、「何故ドイツだと良くて韓国だと駄目なのか?」について、しっかりと理由を語って欲しい。

帝国の慰安婦 植民地支配と記憶の闘い

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