毎日新聞の悲劇

 二ヶ月ほど前、毎日新聞の英語版サイトの低俗記事が社会問題となった。問題となったコーナーは2001年から続いていたらしい。何故こうも取り返しがつかない程に発覚が遅れたのか?
 私は、毎日新聞が批判対象として扱われる事が少ないのが原因だと思う。
 稲垣武の著作『朝日新聞血風録』の文庫版(文藝春秋・1996)の174ページには、毒ガス偽写真事件に関する以下の様な朝日幹部の発言がある。
「うちの新聞は馬鹿だから、いい薬だ。こうなったら『諸君!』あたりに頑張ってほしいくらいだ。あれは無料の記事審査部みたいなもので、文春の費用で朝日新聞の記事審査をしてくれるとは有り難い」
 これは発言者にとっては実際には自嘲的な諧謔だったのかもしれないが、かなりの真理を含んでいると思う。
 インターネットが発達した現在では、個人でも朝日や産経や読売の嘘を一生懸命発掘している方が多い。朝日・産経は五大紙の中で各々思想的に両端にいるという印象から叩かれやすいのであろうし、読売は部数におけるチャンピオンとして狙われているのだろう。
 朝日・産経の社員には、批判に対して謙虚になって欲しいが、同時にこの状況をそれなりに誇りに思っても良いと思われる。「特定の政党の味方ばかりしている!」という理由で赤旗聖教新聞が叩かれたという話はほとんど聞いた例が無い。つまり批判者達も、両紙ともに一応は不偏不党・公正中立に近いと認めた上で、「だからこそ騙される奴がいて危険。」「だからこそ一層頑張って欲しい。」といった思いから批判を繰り広げているのであろう。
 こうしたボランティアの記事審査部を全国に持っている事は、やはり長い目で見て前述の三紙にとって幸いだった様だ。もしも毎日新聞に、鵜の目鷹の目で敵視してくれる審査員が多くいたならば、低俗コーナー開設の直後から批判が殺到し、手遅れになる事態を防げたはずだ。
 さて、してみると次に大事件が起こる可能性を秘めているのは日経新聞という事になりそうである。日経社員諸氏は自社への批判が少ないという現状に油断せず、身を律し続けて欲しい。
「子曰 丘也幸 苟有過 人必知之」(『論語』述而篇より)

朝日新聞血風録 (文春文庫)

朝日新聞血風録 (文春文庫)