孝子ちゃんとその御父さん(挿絵・友人某)

 これは、私が生前の家永孝子ちゃん(享年13歳)から幾度か聴取した内容を分類・整理して、一続きの話に仕上げたものです。
 孝子ちゃんはいつも御父さんに意地悪をされていると感じていました。御父さんの決定する事は、常に孝子ちゃんにとって不利益になっていたのです。直接暴力を振るわれていたわけではないので、自分が御父さんにいたぶられているという決定的な確証が持てず、そのために日々悩み続け、果ては具体的な虐待を受けていた御蔭で国家権力の庇護を受ける事に成功した隣家の聡美(仮名)ちゃんの事を羨む程でした。
 何度か直接御父さんに自分を間接的に痛めつけ続ける理由を聞いてみたのですが、はぐらかす様な回答ばかり返ってきました。それが愚昧さの故なのか、はたまた孝子ちゃんを一層苦しめるための意図的なものだったのかは、孝子ちゃんは御父さん自身ではないのだから当然ながら判らず、更に悩む様になりました。
 孝子ちゃんは御父さんと敵対する事が出来ませんでした。自分の出産及びその後に提供された衣・食・住の全ての費用は全て御父さんが稼いでいる金銭の一部である事を知っていたからです。
 御父さんは会社の言いなりになる事で金銭を与えられています。会社は御父さんの労働力を購入しています。
 そしてこの社会の仕組みを参考にして、孝子ちゃんは自分の置かれている境遇についての整合的な仮説を導き出しました。
 それは、自分も御父さんの言いなりになる事で生存を確保しているのであり、御父さんは自分を苦しめる事によって得られる快楽を「養育費」によって購入している、というものでした。
 しかしまた、繰り返す様ですが、他人の内面というものは不可知の領域なので、文学作品等を通じて伝え聞いた「親の子への無償の愛」とやらが御父さんにも備わっている可能性を完全には否定する事が出来ませんでした。
 そこで孝子ちゃんは自殺をする事にしました。これ以上の生存に伴う苦痛に耐え続けるだけの気力が無かったからというだけではなく、自分が死んで御父さんが喜ぶか悲しむかは不明であるものの、喜んでもらえれば親孝行になるし、悲しまれれば復讐になるので、どちらにしろ自分の生命に意味を作る事が出来ると思ったからです。
 孝子ちゃんの自殺は、少なくとも私が観察した限りでは、残念ながら実際には御父さんに何の感慨ももたらさなかった様でした。事態の推移を冷静に見届けようと心掛けていた私も、これには流石に一時的に驚かされました。御父さんは感情を表に出さない様に努めていたのかもしれませんし、感情なんか無いのかもしれませんし、愛情の量と憎悪の量とが偶然にも等価であったために喜びと悲しみとが相殺されてしまったのかもしれません。
 余談ながら孝子ちゃんの母親である私はというと、生活空間の確保のために孝子ちゃんの遺品の大半は処分したものの、経済的合理性を度外視して孝子ちゃんの描いた絵を一枚保存しているという点で、孝子ちゃんをどちらかと言うと愛していたという評価を大多数の方から得られるのではないかと自負しています。