金田一春彦の『日本語 新版(上)』(岩波書店・1988)を読んでいたら、177ページに「むこうの人にとっては、虫の声というのは雑音と同じように聞こえるようで、序章にある角田忠信の学説は、この話からヒントを得たという。」という記述があった。
ここまで読んだだけだと、藤原正彦著『国家の品格』(新潮社・2005)(参照→http://d.hatena.ne.jp/gureneko/20080405/1207330218)の「虫の音を楽しむというのは、欧米にはもちろん中国や韓国にもないことだそうです。」と同じ見解である様に見える。
しかし金田一はこれに続けて例外を紹介している。「しかし中国人も秋の虫を喜び、『詩経』にすでに虫の声を愛する詩が二篇見え、杜甫にも秋の虫を詠みこんだ作品がある。北京の街角では秋になると、「蟈々児」と呼ぶキリギリスのような虫を籠に入れて売っているから、日本人だけが虫の声を賞するとは言いがたい。」
これは実に不親切な文である。詩経は三百篇以上の詩から成り立っているので、その中の二篇と漠然と紹介されても確認が難しい。杜甫の作品にしても、せめて題名だけでも教えてくれなければ困る。
それでも私は一応調べてみた。
まず杜甫については、それなりに有名な作品を漁ってみたが、残念ながら発見できなかった。今後も杜甫の詩に出会う度に確認を続けるつもりである。
次に詩経を久々に全部読んでみた。結果は以下の通りである。
1.「國風」の「召南」の「草蟲」篇に「喓喓草蟲」という句を発見した。
2.同じく國風の「豳風」の「七月」篇に「五月鳴蜩」・「五月斯螽動股」の二句を発見した。
3.「小雅」の「節南山之什」の「小弁」篇に「鳴蜩嘒嘒」という句を発見した。
私には、以上のどれに関しても文脈上その音を愛しているという確たる根拠は見出せなかった。
最後に蟈々児についてだが、「蟈蟈兒」と直してから検索してみた所、確かにそういうものは存在している様であった。
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