「俄人権派」や「自称環境派」が栄える社会を歓迎する!

 中華人民共和国の支配層が大嫌いな日本の国粋主義者が、敵の敵は味方の論理でチベット人の人権の拡張を目指すと、大概は「俄人権派」と馬鹿にされる。共産主義革命を目指す人々が、環境問題を考える振りをしたダミーサークルを作って何時の間にか自然消滅させた場合も、反応は大同小異である。
 ダミーに引っかかって金や名声や人生を失う人は多いので、欺瞞を告発する事自体は素晴らしいと思う。
 ただ私は同時に、人権や環境を名目とした団体が栄えるのは、人権や環境といった価値が栄えている証拠でもあると思う。よってマクロにおいては、そんな現状を肯定している。
 少数派が目的を達するために多数派に受け入れられる価値を掲げるのは、いつの時代でもあった事である。人権派国粋主義のダミー団体を作ったり、環境保護主義者が共産主義者の振りをしなければやっていけないような社会よりも、「俄人権派」や「自称環境派」が跋扈する社会の方が私には居心地が良い。
 卑近な例え話をするなら、金目当ての卑猥なパロディ本が闇で流通しなくなった時こそが、その漫画の大衆的人気が消滅した時なのだ。
 また、世の中には「肉付きの面」という例えもある。
 山本周五郎の『小説 日本婦道記』には、幕末の尊王討幕運動において、勤皇詐欺をした似非志士に大金を与える勤皇家の婦人が登場していた。不審に思った夫が真意を聞くと、彼女は「世の中に詐欺の手段は幾らでもあるのに敢えて勤皇詐欺を選んだ詐欺師には、いつか本物の志士になる見込みがある。」という意味の回答をするのである。
 人権や環境を旗印に活動している振りをする内に、自然とその名目上の価値に貢献し、やがては本人の内面まで変化していくという事もあるだろう。

小説日本婦道記 (新潮文庫)

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