『改訂版 21世紀のジェンダー論』(晃洋書房・2004)

21世紀のジェンダー論

21世紀のジェンダー論

 当ブログが開設当初から深く交流させてもらっている「姫津の図書館(http://d.hatena.ne.jp/Himez/)」で、『21世紀のジェンダー論』という書籍が紹介されていた(参照→http://d.hatena.ne.jp/Himez/20080914/1221417353)。
 興味を持って図書館に行ってみると、幸運にも改訂版を発見したので、そちらの方を借りてきた。これで苦心惨憺せずとも独自性のある批評を展開出来そうであると思ったのである。
 「はじめに」によると、1−1と2−4が改訂版で新たに付け加えられたものであるらしい。以下、これ等の節を中心に紹介したい。
 まずは「1−1 ジェンダーアイデンティティの実践―性差二元論への囚われ―」(高橋裕子)からである。旧版の第1章の1〜4節をそれぞれ2〜5節にしてまで冒頭に割り込んできた節であるから、それなりの期待感を持って読んでみた。
 ここでは性同一性障害者の苦しみについて語られている。ところが、5ページ10行目に「そして、この問題に関して私たち一人ひとりもまた無垢な第三者たりえず、潜在的な加害者であると同時に被害者であるといった意味で当事者であるに違いない。」という記述が登場するのである。「もまた」とある以上、「私たち一人ひとり」という集合の中に性同一性障害者は含まれていない事になる。この部分は私に、「私は人種差別とA色人種が大嫌いだ。」という有名なブラックユーモアを思い起こさせた。
 7ページでは「学生の記述を見ていただきたい。」とだけ書かれた後、幾つかの文章が紹介される。「学生」とやらについては男子か女子かという性差二元的な属性以外の情報が完全に欠落しており、大学生なのかそうでないのかすら判らない。しかもその「記述」とやらも、採取の方法については質問事項も含め全てが秘匿されている。そうしておいて「上記の記述からわかることは、」と話が進められているのだが、読者の多くにとってここで最も鮮明に判る事とは、著者の知能程度や精神年齢についてであろう。加えて察しの良い読者ならば、こうした欠点だらけの節が一番槍を飾った事から、本全体の程度まで推して知ってしまうかもしれない。
 次に「2−4 福祉とジェンダー」(大塚陽子)を検証してみる。主として女性高齢者の貧困が構造的なものである事を解き明かそうとする節である。
 この節は「日本人女性の平均寿命年齢は国際的にみても高く、2003年にはついに85歳を超えた。男性の平均寿命年齢が78歳であるから、女性は男性より7年も長く生きることになる。」という前提から始まり、そのまま老後の話につながっている。平均寿命とは乳幼児の死亡すら機械的に計算するものであり、高齢の男女の比較検討に使用するには俗に言う丼勘定に過ぎると思われる。65歳の方々の平均余命をせめて併記すべきであった。
 80ページから始まる税制の解説では、始めは正確に「給与所得者」とその「配偶者」と使用されていた用語が、前者は「夫」へと、後者は「妻」へと、途中から書き換えられている。確かに現実の日本の夫婦の間では夫の給与の方が高い場合が多いが、少なくとも形式的には男女平等に作ってある法令を紹介する際にこうした低レベルで不正確な印象操作を施すのは卑怯である。この節を読んだ外国人や後世人が現代日本について間違った知識を持ってしまう心配もある。
 もしこの書き換えが無自覚に行われていたとすれば、一層許し難い。前述した1−1における「私たち一人ひとりもまた」という表現に関する問題と同じ構造が見て取れる。論語読みの論語知らずとは、まさにこの事であろう。
 最後に、本書の他の節も含めた全体的な感想を語りたい。
 装丁の上品さと書名に「論」の字が入っていた羊頭狗肉こそが、私が本書に収録された文章に不満を持ってしまったそもそもの原因であると思う。これがもし『オトコ社会をブッ飛ばせ!十九人からの提言』だの『ジェンダー問題やぶれかぶれ随筆集』だのといった書名であったならば、「確かにそういう例もどこかにあるのかもしれないよね。」とか「こういう狂信性こそが醍醐味なんだよなぁ!」とか言いながら、心地良く読書を楽しめたのではないかと思われる。
 あるいは、収録された文の方で本の外見のレベルに合わせるという代案も、理論上は有り得るだろう。