落選という政治的責任

 政治家の失政や汚職が明るみになった際、当該政治家本人や所属政党の次に批判されるのが選挙民であるという風潮がある。
 悪や無能を見抜けずに投票してしまった個々人が内心深く反省するのであれば、これは大変な美徳であると私も思う。しかしながら、「あんな奴に投票した連中は愚民!」という憲法第15条4項の精神にもとる言説が大手を振るっているのは、少々問題があるのではないかと思う。
 「今後も賄賂が通用します様に!」と願いながら自民党に投票する者は、極一部の悪徳企業の幹部だけであろう。「今後も日本人が北朝鮮に拉致されます様に!」と願いながら社民党に投票する者も、やはり社民の票田の中では少数派であろう。公明への票ですら、特に自公連立後は、公明党の全てを認めてはいない人の票の比率が相当数を占めると思われる。ほとんどの人が、「蜂はどちらかというと益虫だ。」という判断にも似た苦渋の決断の末、自分にとって相対的に害が少なそうな党・候補者に投票しているのである。
 そう考えると、「あんな奴に投票した連中」よりも、「あんな奴にすら負けた連中」こそ、糾弾されてしかるべき場合が多いのではなかろうか?