話題の田母神論文を読んでみた。

 最近、民間の懸賞論文に応募したとして航空幕僚長が解任された。
 昨日私は問題の論文がネット上で公開されていると聞き、実際に全文を読んでから評価を下してみた。
 以下は、現在このページ(http://www.apa.co.jp/book_report/)から行けるこのテキスト(http://www.apa.co.jp/book_report/images/2008jyusyou_saiyuusyu.pdf)の西暦2008年11月7日早朝時点の内容を元に書いたものである。
 なお、執筆者である田母神俊雄氏の政治的立場や歴史認識等については、批判あるいは賞賛している人が既に多数いるので、独自性を出すためにも極力そうした内容は避けてみた。
 まず表記レベルの検討をする。これに関しては、本人の責任ではない可能性も高いが、一応指摘しておく。
 この論文は、発言を引用する際にも出典を紹介する際にも「」が使用されていて読みにくい。後者には『』を用いるべきであろう。もしくは、前者には「」の内部にも句点を打って差異化を図ると良いかと思われる。
 第九段落には「3百万人」という実に読みにくい表現がある。特段の事情がない限り、「三百万人」か「300万人」と表記するのが望ましい。第十一段落の「2百年」についても同じである。
 次に単語レベルの検討をする。
 一番気になったのは、日本語の「殿下」という単語の意味・用法を知らない様に見受けられる事である。第六段落冒頭、「李王朝の最後の殿下」という不可解な表現がある。これではまるで「殿下」という地位が存在するかの様である。同段落には「溥儀殿下」という表現も登場する。溥儀は皇帝であるので、ここは「陛下」という敬称が相応しい。
 第五段落の「満州帝國」という記述も不思議である。「国民党」・「清国」等の他の固有名詞中に登場する「国」が全て新字体であり、しかも第六段落では同じ対象まで「満州帝国」と書かれているのに、ここでだけ旧字体を使った理由が不明である。仮に深いこだわりがあるのなら、「満州」も「満洲」と書くべきである。また文脈上西暦1932年1月を同国の「成立当初」としている以上、「帝」の字は使用しない方が良い。満洲国で帝政が開始されたのは1934年だからである。
 次に文レベルの検討をする。稚拙な記述が多いので、どの部分を批判するかで随分迷わされたが、一応対象を二箇所にまで絞った。
 第六段落後半に「また清朝最後の皇帝また満州帝国皇帝であった溥儀殿下の弟君である溥傑殿下のもとに嫁がれたのは、」とある。話題を並列させるために「また」を使用し、その直後に名詞を並列させる目的でまた「また」を使用している。口頭ならば抑揚等で区別出来るので特に問題は無いが、文章としては落第である。
 第九段落の「その中で昇りつめたのは財務省ナンバー2の財務次官ハリー・ホワイトであった。」に至っては、口頭表現としても不適切である。おそらく、「その中で財務省ナンバー2の財務次官に昇りつめたのはハリー・ホワイトであった。」か「その中で最も高い地位に昇りつめたのは財務省ナンバー2の財務次官ハリー・ホワイトであった。」とでも書きたかったのであろう。
 次に段落レベルの検討をする。
 第三段落は、前半の張作霖列車爆破事件や盧溝橋事件は敵の陰謀かもしれないという主張と、後半の欧米列強もやっていた事をやっただけで日本だけが侵略国家呼ばわりされる言われはないという主張との間で、ほとんどつながりがない。連結させるためにもう少し工夫をするなり、いっそ二つの段落に分けてしまうなりした方が良かっただろう。
 第五段落では、前半で日本の植民地統治を讃える言説が展開され、後半ではまるでその具体的証拠の一つであるかの様に「また日本政府は朝鮮人も中国人も陸軍士官学校への入校を認めた。」という話題が出てくる。そしてしばらくは確かに日本軍で活躍した朝鮮系日本人の高級将校の話が語られるのだが、終盤では単なる留学生である蒋介石・何応欽が彼等と並列的に登場している。これも段落分けの失敗であろうし、意図的な印象操作であったとしたら更に大きな減点部分である。
 次に文章構成レベルの検討をする。
 第一段落では、戦後の米軍の日本駐留と戦前の日本軍の大陸駐留とを「条約に基づいたもの」として並列し、「侵略」と峻別している。その一方で第十二段落では、条約に基づくアメリカ軍の日本駐留を、ロシアによる北方領土の不法占拠や韓国による竹島の実効支配と、あたかも並列であるかの様に書いている。これ等は互いに別個に主張されていれば、それぞれそれなりに筋の通った見解として承認された事であろう。しかし一つの論文の中で同時に主張したのは失敗であったと思われる。田母神論文を鵜呑みにした読者の脳内には、「日本軍の大陸駐留≒米軍の日本駐留≒ロシアの北方領土不法占拠」という印象が焼き付いてしまうであろう。
 最後に思想的な面に関しても少しだけ分析してみる。
 論文の主張は概して保守的である。しかし第四・五・七段落では、満洲満州)がまるで朝鮮・台湾と並列的な意味での日本の植民地であったかの様に書かれている。前述した満洲国関連の表記の一貫性の無さや日米安保条約への評価の混迷等も鑑みるに、おそらく複数の立場の歴史書思想書で学んだ諸見解を消化不良のままにつぎはぎしてしまったのではないかと思われる。
 
 さて、こうして田母神論文が、保守・革新といった枠組みを超えて低質である事が明らかになった。
 最初に紹介した懸賞論文のページには、「230通を越える応募があり、審査委員長・渡部昇一氏をはじめとする審査委員会の厳正なる審査の結果、受賞作が決定いたしました。」とある。他の230通以上の全ての論文がこの田母神論文に劣っていたというのは、少々信じ難い話である。
 幸いにも、優秀作二作及び佳作十作は出版が決まったらしい。これで部外者も、「厳正なる審査」を審査出来そうである。