すっかり忘れていた、三度目の「真の近現代史観」懸賞論文

 過去に私は、アパグループの「真の近現代史観」懸賞の初回と第二回に際して、最優秀賞を獲得した論文を二回とも批判したが(参照→http://d.hatena.ne.jp/gureneko/20081107/1226009194http://d.hatena.ne.jp/gureneko/20091122/1258875769)、今年は第三回の事をすっかり忘れたまま年末を迎えてしまった。
 遅まきながらこのページ(http://www.apa.co.jp/book_report3/2010japan.html)の西暦2010年12月29日14時頃の記述を読んだ感想を書こうと思う。
 まず冒頭の「遺骨収集を始めたきっかけ」の章の第一段落で早くも躓いた。「私は大東亜戦争で戦死された日本軍将兵の方々の戦没者のご遺骨を9年間お迎えし続けてきた。」の解釈に苦しんだのである。戦死されているのが前提なら、態々「戦没者」と書かなくても良い筈である。「戦没」とは、「戦死」を包括する、より広い概念なのだから。
 同章第二段落、「この論文では、今までの遺骨収集の現場の話を通じて見てきた実際のことと日本軍将兵の方々への思いを話して行きたいと思う。」とある。こういう内容の文章では、「近現代から今日に至るまで、欧米やアジアなど諸外国と日本との関わりを中心に、歴史に埋もれた真実をもとに国際情勢の推移を解き明かし、独自の近現代史観で日本の活性化に役立つ提言をまとめた論文を広く募」るという懸賞の趣旨から外れていそうである(参照→http://www.apa.co.jp/newsrelease/news/20100430.html)。課題に対応した内容の文章を書けなかったか、自分の書いた論文の趣旨を冒頭で解説する能力が低いかの、少なくともどちらかである事が、この時点で判明した。
 同章は「遺骨収集のことを知ったのは、学生時代に茶谷武さんとおっしゃる22歳の将兵の方の遺書を読んだ事がきっかけだった。」と書いておきながら、遺骨収集と直接的には無関係の遺書の話をした挙句、「そして同じ時期に遺骨収集活動を知り、」と繋げている。これを読む限りでは、遺書は少しも「知った」「きっかけ」になっていない。
 また、同章の後ろから二つ目の段落にある「今まで」は、文脈上「学生時代」のある瞬間までを意味しているので、「それまで」の方が良いだろう。文学として書いたのならば臨場感を出すため等の理由で「今まで」を使用する事も許されるかもしれないが、この文章は一応は論文であるという事になっているのだから。
 次は「土の中では、当時の戦況のまま時が止まっている」の章である。この章は、執筆者である佐波優子氏の遺骨収集活動の見聞が語られ、訪れた場所ごとに節が分けられている。
 硫黄島関連の節は、いきなり「硫黄島では、本土を護るために最後まで戦い抜いた。」と書き始められていたので、一瞬佐波氏が最後まで戦い抜いたのかと誤解してしまい、少々驚いた。この章には他にも、「遺骨収集をして、ご遺骨があんなに帰りたかった日本に帰って来た時、日本兵は悪いことをしたと教えられ、謝罪ばかりで自虐史観にまみれている。」という、過度な省略がなされて意味が解り難くなっている部分がある。
 また、「この島では戦後B級・C級戦犯の裁判があり200人以上の日本人が劣悪の環境の中、重労働をさせられ5人の日本人に死刑が執行された。」等の不思議な読点の打ち方にも悩まされた。
 しかし戦場の兵士の御苦労はこんなものではないだろうと思い、我慢して読み進めた。
 遺骨収集をするのは偉いとは思ったが、当初はそれがどう「真の近現代史観」と関係があるのかが、非常に疑問であった。 
 しかし佐波氏の中では大いに関係がある事が直ぐに解った。
 同章最終節には「ご遺骨の死に際の状態が、正に日本軍は侵略ではなく祖国を護るための戦いに行ったとの確固たる証拠のようにも思えた。私は「日本軍は侵略をした悪い人達。謝罪をしなければ」と言っている全ての人達にこの状態を見てもらいたい。そして問いたい。「この戦車にしがみついている首のないご遺骨を見ても、日本軍が悪かったと思いますか」と。「布団を体に巻いて戦車の下で爆死した十代の少年のご遺骨を見て、それでも謝罪談話を出すべきだと思いますか」と。」とある。
 「確固たる証拠のようにも思えた。」だけでは、確固としているのかしていないのかが良く解らないが、「問いたい」質問への返答は「いいえ。」であってしかるべきだと佐波氏が思っている事は文脈上明らかなので、氏にとっての自明の前提条件と思考回路と結論とは、それなりに推測出来る。
 おそらく佐波氏は、「命を捨てて自国を守る軍人に「残虐な悪人」はいない」という前提の下、「そういう軍人が大勢いた日本軍は悪ではない」と考え、「日本軍が悪でない以上は、政府の謝罪談話は必要ない。」と考えたのだろう。
 だが政府と軍とは別の組織であるし、軍もまた一枚岩ではなく、個々人の性格も単純な善悪では語りつくせない。同胞を命懸けで守る人間が、同胞でない者に対しては残虐になるという事は十分あり得る。仮にある軍の戦死者の大半が完璧な善人だったとしても、上層部の大半が狡猾に生き延びた悪人であったとすれば、その軍が概ねとして悪の組織である事もまた十分あり得る。またある軍隊が上層部から一兵卒まで正義の人で満ち溢れていたとしても、その国の政府が国策を誤って外国と自国軍とに迷惑を与えた場合等には、その政府が外国向けにも謝罪談話を必要とする状況もあり得るだろう。
 「日本兵は全員、味方すら簡単に見殺しにする、身勝手な悪人ばかりだった。」という奇妙な信念を持っている人に対してだけは、「だったらこの遺骨の日本兵の死亡状況を説明してみろ。」という反論はそれなりに意味を持つだろう。しかしそうした奇妙な信念を持っていない人に対しては、この章は遺骨収集の簡素な実態報告以上の価値を持たない。
 最終章は「護ってくださったことへの感謝の気持ちを伝えたい」である。
 前半では、「ある元日本軍将兵のお二人」と彼等「に対し酷い事を言った日本人」と「私」の少なくとも四人が登場する実体験が書かれているのだが、場所等の具体的な状況の説明がほとんどないので、一緒になって悲憤慷慨する気にはなれなかった。
 後半は、日本軍は悪くないのに悪いと言われたという話である。こうした内容の文章としては珍しい事に、この風潮の黒幕としてはGHQが槍玉に挙げられるだけで、左派の政治組織や報道機関が全く批判されていない。「大東亜戦争を戦った全ての日本軍将兵の方々に、今こそ感謝を」するために、日本軍将兵だった人が一人でも加入した組織は批判の対象から外したのであろうか?だとすれば、それなりに首尾一貫していると言えなくもない。
 なおこの論文には、各地における戦死者数や抑留者数が相当数書かれているが、参考文献は一冊も紹介されていない。『戦史叢書』関連の話題が一度だけ登場してはいるが、参考にしたのかは不明である。
 来年こそ、素晴らしい最優秀賞が読めると良いなぁ!

陸海軍年表 (1980年) (戦史叢書)

陸海軍年表 (1980年) (戦史叢書)