未成年の頃、「大晦日に漁に行くと、牛鬼に襲われる。」という内容の怪談を読んだ。
その後、成人して労働法を学んだ時に、あの怪談は労働法が無かった時代において、事実上の同盟罷業の根拠の役割を果していたのかもしれないと思った。
皆で牛鬼の怪談を信じている振りをすれば、どんなに貧しくても大晦日だけは休めるのである。スト破りへの制裁を牛鬼の仕業と言い張った事例もあったかもしれない。
そして、ユダヤ教で安息日の制度が制定・維持された背景にも、同様の理由が大なり小なりあった可能性は十分にあるだろうとも思った。
してみると、『ルカによる福音書』の“Κυριος εστιν του σαββατου ο υιος του ανθρωπου.(直訳、「人間の息子は安息日の支配者です。」)”(マタイ・マルコ福音書に類似の発言在り)は、現代の法学に例えるならば、労働法の機械的な文理解釈を越えて、ダビデの行為が示した判例からの類推解釈を中心に、目的論的解釈をした、とも言える。
労働法の有名無実化を怖れたが故にイエスを憎んだ人も多かったであろう。
私のこうした考えがもし当たっていたとすれば、『マタイによる福音書』にある“Τινα θελετε απο των δυο απολυσω υμιν;(直訳、「私が二人の中から誰を貴方達に引き渡す事を、貴方達は望みますか?」)”という総督の問いかけは、これまた現代日本に例えるならば、労働政策を争点の一つとする選挙の意味合いも含まれていた、とも言える。
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