強者の手打ちより勝者の裁き

 国際刑事裁判には、「所詮あれは勝者の裁きだ。」という批判が加えられる場合が多い。
 そして実際にその批判に一理ある場合がほとんどであると私も思っている。今後も勝者の正義は厳格に問われ続けて欲しい。
 しかしながら、自分が自分の支持していない二大勢力の闘争に巻き込まれて甚大な被害を受けた状態を想定してみると、おそらく勝者の裁きを次善のものとして評価するであろうと思われる。
 戦いに巻き込まれた第三国の人間や敗戦国内のマイノリティにとってみれば、戦勝国とて加害者であり、また敗戦国とて強者である。戦勝国が「自分達にも至らない点があったので敵の戦争犯罪者を裁かない事にする!」と宣言するという美談めかした猿芝居を見せつけられるよりは、自分を痛めつけた連中の内のせめて半分だけでも苦しむ方が、少なくとも私には喜ばしい事態である。
 黒澤明の『用心棒』の様な、二つの巨悪が共倒れになるという奇跡は、現実にはめったに起きないものである。同作中でも、東野英治郎扮する居酒屋が序盤で抱いていた願望は、二大やくざの一方だけでも滅んで欲しいというささやかなものであった。
 東京裁判の様に事後法等の問題までをも抱えている場合は、私も流石にその裁判を正当化すべきではないと思う。しかし、勝者側の戦争犯罪者は見逃されたが敗者への裁判自体は厳格にして正当なる手続きに従って行われたという場合は、私はその裁判を全否定する気にはなれない。
「以夷狄攻夷狄 計之善者也」(『後漢書』班超列伝より)

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