少女幻想綺譚

 昨日は渋谷文化村の少女幻想綺譚http://www.bunkamura.co.jp/gallery/090513shoujo/index.htmlに行ってきました。
 展示されている作品は絵画がほとんどでしたが、人形も数体置かれていました。両者を一度に鑑賞する事で、それぞれの大まかな特性が見えてきた気もしました。
 「少女」をテーマにした人形は、立体的に空間に存在していて外見も一般に人体に近いが故に、鑑賞者はそこにある物体を所与の現実として認識して人体と否応無く比較対照する事になります。そしてその比較により、そのものが人体よりは遥かに朽ちにくいという物質的な結論が導き出され、そこに「永遠」を感じ取る事が出来ます。
 対して同じテーマの絵画は、最初から空想の存在であるが故に、描かれている瞬間の前後に可能性としての幾通りもの状況を想定させ、「危うさ」を感じ取らせます。「危うさ」に晒されているのは、時には貞操という概念に近いものであり、また時には生命という概念に近いものであるのですが、そうした諸々の危機とは総じて言えば時間が少女から少女という立場を奪うという点に纏められるのではないかと思われます。その危機を擬似的に回避するのが連綿とした時間からの至高の瞬間の切り出しであり、それは物理的な「永遠」を否定する事で対象に「永遠」を与える事なのです。
 こうして「少女」の人形と絵画とは、それぞれ逆の方向から「少女」と「永遠」とを結び付けている・・・とまあ、そんな風に感じました。
 夜はオルガン演奏会でした。演奏者はヨハネス=ゲファートさん。初期古典派が得意な方らしいのですが、後半やアンコールでは色々と新奇な曲も聴かせてくれました。