保守派に長沼ナイキ訴訟の第一審判決の部分的再評価を提案する。

 所謂長沼ナイキ事件をめぐり、1973年に札幌地裁で自衛隊違憲とする判決が下された。これは『憲法判例百選Ⅱ[第5版]』(有斐閣・2007)の376ページでも相当否定的に紹介されており、また特に保守派からは憎悪・嘲笑・全否定の対象となっている。
 しかし裁判長が必死に考えた軍事力に頼らない種々の自衛行動の中には、真剣に検討すれば保守派にとっても使い物になるであろうアイディアが多いのではないかと思う。まずは軍事力の単なる代替手段として提案されたという経緯から来る色眼鏡を外し、併用手段として再利用出来ないかを考えて欲しい。
 稚拙で恥ずかしいが、以下に私の思いついた例を列挙してみる。
※警察力で侵略を排除するというアイディア・・・これは以前にも書いた通り、工夫次第では戦陣訓の「生きて虜囚の辱を受けず」の精神の継承にも繋げられる。(参照→http://d.hatena.ne.jp/gureneko/20081117/1226866103
※群民蜂起論・・・稲垣武著『「悪魔祓い」の戦後史』の文庫版(文藝春秋・1997)の145ページでは、群民蜂起論が「自衛隊は「群民蜂起予備隊」と名を変え、ゲリラ要員の訓練と装備の維持に当たっているという名目にすれば済む。」と評されている。著者は単なる皮肉で書いたのかもしれないが、こうした名称変更は革新陣営との妥協の際に実際に使えるかもしれない。
※侵略国国民の財産没収・・・これを実行する法整備をしておく事は、一つの抑止力になるであろう。また、やがては日本国の財産になると決まっていれば、怒り狂った市民が侵略国国民の財産を違法に破壊する事件の発生の可能性も低下するだろう。
※侵略国国民の国外追放・・・これもやはり抑止力になるかと思われる。また侵略国国民がスパイと疑われて私的制裁を受けるおそれも軽減される。
 国防費をほとんど増やさずに国防力を上げたり、国防力をほとんど減らさずに国防費を削減したり出来れば、ほぼ全ての国民の利益となる。
 この件に限らず、いや、国防問題に限らず、極論とされているものの中からも、微修正によってより多くの人の賛同を得られるであろう案を作れるアイディアを探し続けていきたいと私は思っている。
「子曰 行夏之時 乘殷之輅 服周之冕 樂則韶舞 放鄭聲 遠佞人」(『論語』衛霊公篇より)

別冊ジュリスト No.187 憲法判例百選2

別冊ジュリスト No.187 憲法判例百選2

「悪魔祓い」の戦後史―進歩的文化人の言論と責任 (文春文庫)

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