人間・内藤勝夫

 当時は強い差別の対象であった母子家庭に生まれ育った内藤少年は、偉人の伝記を読むのが好きであった。そこには、周囲の無理解の果てに、ソクラテスやキリストが刑死し、孔子が彷徨し、仏陀が自殺願望を持った、と書かれていた。内藤少年は大いに涙し、精神上の先祖のための仇討を誓った。
「身体を構成する情報は父母から受け継ぎ、精神を構成する情報は天才から受け継いだ。ヒトが人間に成るためには、御家だけでなく御理性をも興隆させねばならん。」
 内藤青年は学徒動員された。兵営ではカントもヘーゲルも通用しなかった。血色が良いのは白を黒と言うだけの剛勇のある士だけであった。戦争が終わったら上官達を皆殺しに出来そうだと友人達が希望的観測をする中、内藤青年は予言した。
「戦後の日本ではデモクラシーが一層栄え、会社でも官庁でも大学でも、今の兵営と同じ位に不義が罷り通る様になるであろう。」
 内藤動物園という、優れた猿山を所持している事で有名な動物園がある。園長の内藤老人の手腕を盗みたい動物学者や他の動物園の関係者は、長年「内藤詣で」を続けている。彼等によると、内藤老人がはぐらかしに使う虚偽の返答は、いつもほとんど同じ内容だとの事である。
「大昔に盗み食いをした罰として、親父にこの仕事を厳しく仕込まれてね。たとえ厭々でも幼い頃から毎日訓練を受けさせられていれば、サルを扱う腕前が向上するのも当然さ。今では他の仕事に就くのをすっかり諦めて、こうして日々楽しく技術の練磨を怠らずに行っている次第だよ。」